【小説】ウルトラ・フィードバック・グルーヴ(仮)⑤(加筆修正版)

 カズマサの母親は専業主婦。息子に対しても毒を吐くような母親だが、愛情溢れる、明るく快活な人だった。言いたいことははっきり言が、持ち前の明るさと合わさって、周りに好かれるタイプだ。近所の人との関係も良好で、家の前で出会うとほとんどの人が挨拶し話しかけてくる。周りを自然と明るくする、そんな女性だった。けれどそれはカズマサには一切遺伝しなかった、とカズマサ自身は思っている。どうしてこの母親と父親の間に自分のような子供ができ、育ったのか、自分のことながら不思議でならなかった。 

 そして何より彼女は美しかった。かつ、とても若く見えた。決して無理をして若く見せようとしているわけでなく、自然な若さを保っていた。道ですれ違った男性の多くが振り返るほどだ。カズマサにとってはただの母親だったが、周りの人間から言われ続けることによって、そうなのかな、そうかもしれないと意識するようになっていった。

 会話のついでにカズマサは母親に尋ねてみた。            「あのさ、うちにカセットテープ再生するのある?」         「何、急に」                           「いや、興味あって」                        なんとなくあのテープについて話すことは憚られて、思わず適当に答えてしまう。                               「うーん、カセットテープねぇ」                   少しだけ思いを巡らせてみた母親だったが、              「昔はあったけど、今はないんじゃないかな」            「そう」                              カズマサはできるだけ落胆した様子を見せないよう素っ気なく返した。

 翌日は何事もないかのように時間が過ぎていった。カズマサは朝起きて、学校に行き、授業を受けた。いつもと違っていたのは出かける時に母親から、念押しで「今日よろしくね」と言われたくらいだった。頭の片隅にカセットテープのことがこびりついて離れずにはいたが、他は特に変化のない日常だった。だが実は問題は学校の後に待ち受けていることをカズマサは承知していた。父親の所に行かなければならない。これはカズマサにとってはかなり厄介な問題だった。軽々しく引き受けてしまったが、今からでも反故にしたいくらいの問題だ。しかし、より詳しく言えば、厄介なのはカズマサ自身ではなく父親のほうだった。親子間の問題というよりは父親の性格の問題だとカズマサは認識していた、いやそれは確信に近かった。自分は悪くない、悪いのは父親の方である、と。端から見れば悪い親子関係には見えないはずだ、その辺はカズマサもわきまえているつもりだった。けれど本当の所は非常に微妙で複雑な関係であった。

 授業が終わり、帰りのホームルームも終わると、すぐに席を立ち、教室を出た。少しでも早く面倒な用事を終わらせたい、そんな気持ちだったが、やはり足取りは重い。朝に母親から受け取っていた荷物をロッカーから取り出し、校舎を出る。校門を出て駅へと向かう道のりはいつもの帰り道と同じだ。ただ父親の会社に行くにはいつもと反対方向の車両に乗ることになる。駅でいうと2駅、時間だと5、6分ほど。カズマサが父親の会社へ行くのはこれで三度目だった。一度目はカズマサが小学校六年の時に母親に連れられて。二度目は去年の夏。この時は1人で行った。一度目のことはほとんど覚えていないが、去年の夏は今回と同じく荷物を届けに行く用事だった。けれどその時は父親ではなく会社の人に荷物は渡した。今回もできればそうしたかったが、母親に「お父さんにちゃんと渡すようにね」と念を押されていた。
 父親が働く会社は小さな運送会社だった。ただ実際父親が何をしているのかカズマサは知らない。トラックの運転をしているわけではなさそうではあるが(そもそも大型トラックの免許を持っているのかどうかさえ知らない)、家を出るときはいつもスーツだった。かといって社長だとか重役というわけでもなさそうだったし、会計とか事務などという仕事が出来るような性格ではないように思えた。ただ、自宅に何日も戻ってこないようなこともあり、忙しく働いているようではあった。

 駅に到着し、自動改札を抜け、いつもと逆のホームに向かう。ホームは閑散としていて、主婦の集まりやスーツ姿のサラリーマン、大学生風のカップルなどがいるだけだった。高校生の姿はなく、カズマサの高校の生徒ももちろんいなかった。カズマサはあることに気付く。道すがら音楽を聴いて来なかったのだ。カズマサは街を歩くとき、ほぼ必ず音楽を聴く。そのカズマサが駅までそのことに気が付かなかったのだ。カズマサ自身もそのことに驚いていた。すぐに鞄からデジタルオーディオプレーヤーを取り出し、イヤホンを装着する。プレーヤーをタップし、選んだアルバムはレッド・ホット・チリ・ペッパーズの『バイ・ザ・ウェイ』。

 車両もホーム同様に人が少なかった。ほぼ全員が座っている。ここまで空いている電車に乗るのは久しぶりだった。カズマサも座ろうとしたが、ほんの2駅だし、座ると気持ちが切れそうな気がしたので、立っていることにした。扉の脇に立ち、シートに背を向ける形で、ポールに身体を預けた。ジョン・フルシアンテのギターが轟音と繊細なフレーズを奏で、フリーの唸るベースがそれに対抗する。何度も聴いてきたアルバムだが、不思議と聴くたびに違う音が聴こえてくる。

 カズマサは沢山の音楽似これまで触れてきた。ひとつひとつの音楽に出会い、それを魅力的だと感じた時に、逆に初めて、他の音楽の素晴らしさや自分が何を欲していたのかを知った。音楽に合わせて景色が左から右へと流れる。カルフォルニアではないけれど、気にはならなかった。束の間の心休まる時間。2曲目の途中で目的の駅に着いた。
 

 電車を降り、ホームから自動改札へ向かう。階段を降りるとすぐに自動改札があり、改札を出るとすぐに道路に面した道にぶつかる。小ぶりな駅だ。以前来た時の印象と変わっていない。前回の来た時の記憶を頼りに左に曲がり、道のりに歩き始めた。この街のメインストリートと言っていいその通りには見慣れたおなじみのファストフード店やら牛丼チェーン店やらコンビニやらが当たり前の顔をして並んでいた。駅前の様子はカズマサの使う駅とさほど変わりはない。前の道路の交通量はそれほど多くはなかったが、空気を汚すには充分ではある。道路に沿ってカズマサは歩いた。横断歩道を一つ渡り、10名くらいの幼稚園児と先生の集団とすれ違った。さらに2、3分歩くと、再び信号があり、今度は赤信号に捕まった。ふと横を見ると、人気のない公園が目に入った。この時間に誰もいないのは不思議に思えた。誰も使用者のいない遊具は、なぜか空虚に思える。歩行者用の表示が青に変わる。イヤホンから相変わらずチリペッパーズの曲が流れていたが、彼らの音楽でもカズマサが見る街の色を変えることはできずにいた。さらに記憶を辿りながら進む。二つ目の信号を渡り少し進むと十字路になっていて、そこを左に曲がれば、住宅街になっているはずで、そこまで行けばまず間違いなくたどり着けるはずだった。(続く)

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