【小説】ウルトラ・フィードバック・グルーヴ(仮)⑦

 クリーム色の壁にブルーのまっすぐな屋根、扉と窓が一つずつ見える。実にありきたりなプレハブの建物と言えた。横に備え付けられたエアコンの室外機が唸っている。女性は扉を雑に開け中に入ると「ただ今戻りましたよ」と中にいる人間に伝えた。外にいるカズマサからは中の様子はわからなかった。そして閉まりかけたドアを慌てて左手で押さえながら、「あ、そうだ、森野さんにお客さんですよ」と大声で伝えた。パイプ椅子だと思われる金属が軋む音が聞こえ、数秒の沈黙の後、女性の横をすり抜け男がプレハブの外に現れた。

 男はカズマサを見るやいなや満面の笑みを携えて飛び出してきた。髭面に長髪というとてもサラリーマンには見えない風貌のその男は開口一番、よく通る大声で「なんだぁ、母さんじゃないのか」とカズマサに向かって言った。大げさに腕を広げ落胆の様子を表現しているようだったが、笑顔をまったく崩れていない。対象的にカズマサの表情は瞬時に曇った。
「荷物だろ、悪いな、いつもの分は持ってきていたんだが、日にちが延びちまってなぁ」
 カズマサは無意識に目をそらして、荷物の入った紙袋を差し出す。
「おう、サンキュー。母さん何か言ってたか?」
首を横に振る。
「そうか、そうか。母さんにありがとうって伝えてくれ。それから愛してるって」
 何故こんなにも声が大きいのか。何故こんなにも笑顔なのか。なぜこんなにも真っ直ぐな目でこちらを見ているのか。カズマサは理解できなかった。さらに言えば、今日が特別なのではない、いつもこうなのだ。いや、いつもどころかカズマサが物心ついた時からこのままだった。おそらくきっと、カズマサが生まれた時も、生まれる前もそうだったのだろう。父は父になる前からずっとこうなのだろうとカズマサは思っていた。確かめたわけではない。けれどカズマサはこの考えに確信に近いものを持っていた。そしてこれこそがカズマサの憂鬱の原因の全てだった。
「どうだ、学校は?」
一刻もはやくこの場から立ち去りたかったが、父親はそんな気持ちなど一切察することなく、真っ直ぐな目をこちらへ向けている。
「特にこれといって変わりないよ」
「そうか、母さんも元気か」
「変わんないよ、二日会わないくらいで・・・」
「そうか、そうか、なら良いんだ」
 さっきの女性でも誰でもいい、この場から連れ出してくれる人はいないものか、いや、せめて父との間に入ってくれる人はいないものかと、祈りたくなるような気持ちにカズマサはなった。その祈りが通じたかどうかはわからないが、プレハブの中から父を呼ぶ声がした。「森野さん、電話、K2ACの岡部さんから」
「はい、今行きます」今までで一番の大声で返答する父親。
「というわけだ、仕事が立て込んでてな。帰ったらゆっくり話そう。じゃあな、サンキュー」
 そういって、プレハブの奥へと消えていき、カズマサは扉の前に一人残される形になった。いつものことなので驚きはない。こちらの都合などおかまいなし、自分の言いたいことを言い終えると、そこで終わり。ゆっくり話す?そんなことは今までなかったし、今後もないだろう。呆れたように、諦めたようにその場に立っていたカズマサだったが、すぐさま我に返り、自分の手から荷物が無くなったことを再度確かめてから、振り返りプレハブを後にした。

 ゆっくり話す?その言葉がカズマサの頭の中で繰り返される。ゆっくり話す?冗談だろ。そもそも父親がゆっくり落ち着いて話すことなどできるわけがない。いつだって言いたいことを言い、大きな声で笑うだけだ。そして決まって最後の言葉は、「だろ、母さん」だ。なるべくかかわらずにいたい、そう願わずにはいられなかった。今日は特殊な日だった、そう思うしかない、交通事故みたいなものだ、そう思わなければやってられない。来る前からわかってはいたし、覚悟もしていたけれど、それでもやっぱり動揺している。時間にしたら5分にも満たない、それなのに・・。なによりもそんな自分自身に苛立っていた。けれど嵐は去ったのだ、自分に言い聞かせながら来た道を戻る。気持ちは落ち着かないが、荷物はもうないし、道に迷う心配もない。ただ帰るだけだと思うと、少しホッとした。

 ポケットにいれたままのデジタルプレーヤーを取り出し、再び『バイ・ザ・ウェイ』を鳴らす。アルバムは後半に差し掛かっていた。後半も悪くはないんだけど、前半ほどの勢いがないんだよな、ちょっと詰め込みすぎたんだよ、もっと曲数を減らせばよかったのに。わけもなく早歩きになる。帰り道も変わらぬ風景が続く。倉庫を抜けると住宅しかない。それも全て一軒家でマンションはおろかアパートらしきものも見当たらなかった。普段からカズマサは街の様子を気にしながら歩くようなタイプではなかったが、さすがに退屈に思え、歩く速度も次第にゆっくりになっていった。駅へのバスでもあったら乗ってしまおうと決意をし始めてもいた。もうじき公園の十字路に当たる。『バイ・ザ・ウェイ』も最終曲「ヴェニス・クイーン」に変わっていた。親しかった女性の死を悼む歌だ。「あなたはどこから来てどこへ行くのだろう?」と繰り返される、アルバムの中でもカズマサが好きな曲の一つだ。曲に意識の多くを注いでいたカズマサは、ふと、何かが違っていることに気がついた。曲ではない、景色が、だ。(続く)

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