【連載小説】アナザー・ガール アナザー・プラネット #52.0
僕は食井さんの気が変わらないうちにと、ポケットからスマートフォンを取り出し、ビギーの動画をセットしてレジの前に置いた。今日のビギーの動画だ。
小さな画面からビギーの動画が流れ始める。食井さんは腕を組み黙って画面を覗いていた。
食井さんがもしビギーのことを知っているならば、これまでのいきさつを話すべきなのかもしれないが、どうやら知らないようだ。音楽好き、ロック好きだからって誰もがイギーのビギーのことを知っているわけじゃない。
ドレラが期待と不安を滲ませながら、食井さんの姿を見つめる。僕は祈るような気持ちで食井さんと自分のスマートフォンを交互に見た。
再生が終了する。僕らは食井さんの言葉を待った。
「すまない、ちょっとわからない、な」
ドレラの表情が曇る。
「そうですか。つ、次のも聞いてください」
すぐさまスマートフォンを拾い上げ、前日の動画をセットした。
今まで神様がいるとかいないとか真剣に考えたことはなかったけど、今この瞬間に神様でも何でもいいから願いを聞いてくれるなら、ずっとそれを信じてもいいと思えた。
「聞いたようなメロディの気もするけど、いや、やっぱりこれも知らないな」
まだ諦めてはいけない。さらに前日のものも見てもらう。
さすがの僕も次は食井さんの表情でわかってしまった。確認するまでもなく、食井さんは首を横に振った。僕はこの時点でドレラの方を見れなくなってしまった。
「期待に応えられなくて、申し訳ない」
その言葉には、少しだけ「だから言っただろ」という気持ちが込められている気がした。それはそうだ、一方的に期待され一方的に落胆されたら誰だって堪らない。僕は極力落胆が見えないよう努めたが、僕の後ろの女の子はそうはいかない。彼女から発せられる落胆の気配は、おそらく通りすがりの人でさえ気づくくらいのレベルだろう。
僕は無言で最後の動画を再生した。開始数秒で食井さんの表情が変わった。
「おい、これは知ってるぞ」
「え」
「ボウイだよ、ボウイ」
「ほ、ほんとですか?」
「ああ、間違いない、この曲は知ってるよ、有名な曲だからな」
食井さんはちょっと待ってろと言うと、レジから出て売り場に向かった。おもむろにレコード箱を漁り始め、そこから一枚レコードを抜いて戻ってきた。
「これに入っている。聴く、よな?」
「もちろんです」
食井さんが僕らに見せてきたそのジャケットには、ブルーのジャンプスーツに肩からギターを下げ、夜の街でこちらを見つめる男が描かれていた。
「『ジギー・スターダスト』だよ、知らない?」
僕もドレラも初めて見るジャケットだった。
「ジギー・スターダストって名前は聞いたことあります」
「お嬢ちゃんも知らないみたいだな。超がつくほど有名なんだけどな。そういう時代か。っていうかイギー知っててボウイ知らんのはどうかと思うぞ」
そういいながらも何故か食井さんは嬉しそうにしている。そのままジャケットからやさしい手付きでレコードを取り出し、レジの横にあるレコードプレーヤーにセットする。おそらく何度も何度も繰り返してきた動作なのだろう、一連の流れがスムーズで、さすがレコードショップの店員といった感じだ。僕らはそれをじっと見守った。
レコード針を外周ではなく途中の部分におろす。見事に無音部に着地する。こちらも慣れたものなのだろう。
店内のスピーカーから音が流れ始める。
イントロはなく、ほぼギターとボーカルが同時に始まる。数秒でハードなギターは鳴らなくなり、そこからシンプルでありながらも力強いバンドサウンでが進んでいく。ボーカルと演奏が一体となっていて心地よい。すぐに僕は気に入った。そしてドレラも同じく気に入ったようだった。そして何より肝心なのは、そう、これはビギーが歌っている曲だった!
突然ドレラが僕に抱きついてきた。
「ねぇ、すごい、ビギーが歌ってたやつ」
「うん、そうだね」
喜びを爆発させるドレラ。店内にいるのは食井さんだけだったけれど、それでも僕は照れくさくなってしまった。そんなことお構いなしにドレラは僕の腕を掴み、上下に振った。
「「Moonage Daydream」って曲だよ。邦題が「月世界の白昼夢」だったっけかな。これはイギリス盤だからわかんないけど」
「ムーンエイジ・デイドリーム」
僕は食井さんに倣って口に出してみた。なんだか英語の授業に出てくる単語とは全く別の感触を覚えた。
「それにしてもデヴィッド・ボウイを歌うオウムってすごいな。TVとかYou Tubeとかに出れそうだ」
そのオウムは別の件でネットで話題になっているのだけど、それは言わないでおいた。
「もしかしたら他の曲もボウイかもしれないな。メロディの感じも似てる気がするし。正直ボウイはそんなに詳しくないから自信はないけどな。調べてみてもいいかもしれない」
この言葉にはドレラが反応した。食井さんに聞こえないように僕にそっと耳打ちしてきた。興奮していたのにこのへんは冷静なのが不思議だ。
「確かにそうかもしれない。イギーとボウイはソウルメイトだったんだもの、きっとそうよ」
(続く)
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