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     小話・薔薇の花のゆりかご 青蛙の庭


 ささやかな庭先に、今年もまた薔薇の花が咲いた。
 スイート・アバランチュという品種で、甘い芳香を放つ淡いピンクいろの花をつける。
 切り花にして一輪挿しに投げこむと、煤けた部屋はたちどころに華やぎ、芳香剤など要らないくらい香り立つ。

 5月10日——
 風は東寄りの軟風(なよかぜ)で、陽射しは柔らかく暖かい。この季節一番の、申し分ない良い日和だった。
 実を言うとこの日は、?歳になった娘の誕生日。
 当の本人、決して口に出さないのだがチャッカリと誕生祝いを当て込んで、庭の手入れにやって来た。
 芝を刈り込み、雑草を引き抜いたり、伸びた枝を払ったり。時折、仕事の合間に来てはくれるが、今日は職人並みの仕事をして庭を動き回っている。

 さてそれでは——彼女の好きな天ぷらの仕込みに取り掛かろうと腰を上げた時、娘が
「ちょっと、ちょっと」と声を潜ませながら、忍び足の急ぎ足でそおっと部屋に入って来た。
 テーブルの上に置いた自分の携帯を手に取り、また忍び足急ぎ足で庭に戻って行った。
 なにが「ちょっと」なのか、出窓越しにピンクの薔薇に覆いかぶさるようにして携帯をかざしている娘の様子を窺っていた。
 すると、ガラス戸越しにしきりと私を手招く。
 何事?と思いながら庭に降り立って、指差した一本の薔薇を覗き込むと…体調2センチ程の小さな青蛙が花びらの中にチョンと座っている。

 軟風(なよかぜ)に、ゆらゆら揺れるピンクの薔薇の、甘い香りに包まれて……
  ——なんて幸せな午睡——
 思わずそんな言葉が漏れそうな景色。
 大体、小さな青蛙は木の上や葉っぱの上で見かけけるのが常だから、こんな愛らしい景色は見たことがない。甘い香りに誘われて、しっかり吸盤をつかって這い上がったのかな。

 感動に浸っている最中、以前住んでいた借り上げ社宅の庭を思い出した。

 庭の真ん中に、花好きの家主が植えた「ナニワノイバラ」と言う野薔薇の原種が植えられていた。
 住み始めの頃、一本の細い茎が立ち上がっていただけの薔薇が、年ごとに勢いを増して横方向に這うようになった。
 毎年春の訪れとともに、一重の清楚な白い花が咲き始める。するといろいろな昆虫が集まって来た。
 とりわけ印象的だったのはクマンバチ。
 黒くずんぐりした体を花の中に埋め、泳ぎ回るのだ。温厚な性格のクマンバチは滅多に攻撃することは無いらしい。
 顔を近づけて見ていても人の気配なんかどこ吹く風で、身体中黄色い花粉まみれになって必死に泳ぎまわる。
 その一生懸命な可愛らしさに思わず「がんばれー」と声かけしたものだった。


 青ガエルもまた、娘と私のことなんかどこ吹く風。

 軟風(なよかぜ)に ゆらゆら揺れる
 ピンクの薔薇の 甘い香りに包まれて
 何となく うつらうつら夢心地

 至福のひと時なんだろうな。小さな青蛙は薔薇の花の中でじっとして動かない。

 春になって早々に、カエルの鳴き声が聞こえるようになった。
 第一声は4月の初め。
 何処にいるのかなと声の方向を探したら、こんもり茂った風知草の根元で鳴いていた。
 それにしても、毎年何処からやってくるのだろう。
 不思議に思って調べてみるとびっくり。住み慣れた庭の土中で冬眠することがあると言う。
 冬場、庭の手入れをしている時、掘り返した土の中に青蛙が居たなんて事はあるらしく、ここは素早く土中に戻してあげなければいけないらしい。

 住宅の庭は外敵から守られ、虫たちの住処だから餌には事欠かない。カエルにとって絶好の生活圏なのだろう。
 産卵期には水辺に集結して卵を産むらしいが、どうやって行き来するのだろう。
 車道の向こうに、リバーサイドの様な水辺はあるけれど。

 調べを進めていくと、住宅周辺の水溜まりや湿潤な土の中にも産卵するという。
 でも…勝手な推測だけど、生育環境にちょと問題ありそうな……

 そこで——決めた‼︎
 水草を浮かべた小さなビオトープとつくろう。 ピンクの薔薇を沢山植え込んで。

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