火の鳥 異形編

手塚治虫『火の鳥』の中でも、もっとも東洋哲学的な異形編。


主人公・左近介は一国一城の主の一子であり姫。
彼女は乱暴者の父に、表向きは男性として虐待同然に育てられ、「いつか父を殺してやる」というどす黒い念を抱いて生きてきました。

あるとき万病を治す比丘尼(尼僧のこと)のうわさを聞きつけて、業病を患った父は城に八百比丘尼を呼びます。「父の病が癒えてはまずい」そう思った左近介は八百比丘尼の後をつけ、お寺でついに彼女を切り殺してしまうのでした。

その後左近介はひょんなことから尼のいた寺に住み着き、ご本尊の中に隠してあった火の鳥の羽を使って、近隣の人々のケガや病を治すことになります。左近介はなぜか寺の周辺から出ることができず、逆行する時の中を生きていくことになる。

そして寺に来てから30年経ったある日、尼の姿をした左近介の前には、かつての自分の姿が…

一番重要なところは端折ったうえで解説すると、この話はいわゆるループものです。
なぜループしているのかと言ったら、左近介が持つ業のため。
あとはたぶん、SFっぽく考えると、火の鳥の羽が重力を歪めている。

余談ですがKeyの『AIR』というゲームにも”翼人の羽は記憶装置であり時空を歪める性質がある”という設定があって、これにすごく似ています。

ただし左近介の罪が許されるために、「無限に病の人々を救済しなさい」という火の鳥の助言がありました。そして30年に一度だけ外部世界との通路が開くことも、火の鳥からあらかじめ教えられています。

つまり左近介は、自分の業から逃げようと思えば逃げられたわけです。
しかし本編ではあえてそうせずに、彼女は無限の生と死を無限の救済に充てることになります。

これはあれですよ、弥勒菩薩の変形です。
大乗仏教最後の良心である弥勒菩薩は、56億年後に人類を救ってくれる予定の気の長い仏様。それを中世のころからやってますという話に置き換えると、火の鳥異形編になるのではないでしょうか。


整体みたいな仕事をやると、本質的には八百比丘尼と変わらないな、と感じます。
ただし私が使うのは気の力で、火の鳥の羽みたいな便利なものはありませんが。

業の深い人は修行してください。

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