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価値観のメンテナンス方法

「農薬は使用した方がいい」。こう言うと拒否感/違和感を感じる人もいると思います。もし、そう感じるとすれば、その理由は、この価値観が「自分の価値観の外」にあるものだからだと思います。そして、人によっては、「そんなはずはない!」、「おまえは馬鹿だ!」、「その考えは間違っている!」、「無農薬がいいに決まっている!」、「農薬なんて体に悪いものなんだ!」と思ったり、言ったりするかもしれません。場合によってはすぐに相手の話を遮ったりもするかもしれません。

私はこのようなことは、ある意味少し危険なことかもしれないと思います。

自分の視野を広げる機会を自ら捨ててしまっているかもしれません。

私は、「まずはその人の考えを自分の中に飲み込んでみる」といいのではないかと思います。つまり、相手の主張に耳を傾けてみて、その相手がどのような考えをもっているのかを、最初から否定することなく、まずは理解してみるといいのではないかと考えています。そして、「その考えはすばらしいな、正しいな」と思えば、自分の価値観をアップデートすればいいと思います。一方で、「その考えはどう考えても変だな」と思うこともあるかもしれません。それはそれでいいと思います。まずは一度、受け入れてみることが大切な気がします。そして、仮に「その考えはおかしいな」とそのときは思っても、自分の中の「価値観ストック」にその考えを加えておくのがいいのではないかと思います。つまり、「このような考えを持っている人がいる」ということを覚えておくのです。その考えは、今後もどう考えてもおかしいと自分は思い続けるものかもしれません。それはそれで全くかまわないと思います。一方で、このように「価値観ストック」を増やしておくと、あるときにふと「あの人が言っていたことも一理あるかもしれない」、「あの時は理解できなかったけど、あの人の言っていたことはこうゆうことだったのか」と思えることもあるかもしれません。つまり、視野が広がる瞬間が後からくる可能性もあるということです。仮にこのように思うことがずっとなかったとしても、「価値観ストック」を増やしておけば、自分が何かするときに、そのような価値観を有する人がいることを既に知っているわけですから、そうした人がどのように感じるかを予め予想して物事を有利に進めることができるかもしれません。

別の表現をすれば、「自分にとって違和感のある話ほど積極的に聞いてみることも大切」かもしれないということです。そうしないと、いつまでも自分が100%正しいと思い続けるリスクがあるような気がします。頭がどんどんダイヤモンドのように硬くなるかもしれません。古い価値観のまま、気が付くと時代に取り残されているかもしれません。

もちろん、自分を持つこともまた大切だと思います。しかし、「価値観の窓」は常に開けておいてもいいのではないかと思います。

ここで、冒頭の「農薬は使用した方がいい」という考えについて説明します。

私は常にではないですが、「農薬は使用すべき場合も多々ある」という考えを持っています(使用量などのルールが守られていることが前提の話です)。

その理由は、単に収量が上がるという経済的な理由(農家の人にとってはとても重要なことです)ではなく、人体へのリスクの軽減です。害虫の中には、誤って食べてしまうと重篤な病気を引き起こすものがあります。また、そうした害虫によって人体に有害な物質が作物に付着する場合もあります。体に寄生するような病原体が作物についていることもあるかもしれません。こうしたリスクと、ごく微量の農薬が体内に入るリスクを天秤にかけたとき、私は前者のリスクの方が大きいと考えています。このように考える理由はもう一つあります。今の農薬は厳しい安全基準をクリアしたものです。また、食べる前に洗うことで、仮に微量の農薬が残存していたとしても、その大部分を洗い流すことができる場合が多いと思います。
もちろん、この話は、作物につく可能性のある害虫や、使用する農薬によってもケースバイケースなのですが、基本的には私はこのように考えています。
私は、この考えによって無農薬農法などを否定するつもりは全くありません。単に、私はこのように考えているという例を挙げました。そして、仮に私のこの価値観があなたと大きく異なっているとしても、「このような考えの人がいるのだな」という風に、あなたの「価値観ストック」に加えてもらえれば幸いだなと思います。

今回この記事に書いたような考えを私が持つに至ったきっかけとなったのは以下の本です。


今回も私の記事を読んでいただいてありがとうございました!

読んでくださいましてありがとうございました!