記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

映画:『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』、居場所はどこにある?

街で行き交う人の姿でマスクが当たり前になった。前までは、ほんとみんなつけてるなあ、とおもうだけだったけど、この解像度が上がってきて、ああこの人は布マスクか、この人はサイズが合ってないな、マスク似合うな、とか個別の感想をもつようになっている。この状態、いつまで続くやら。
さて、今日は映画。

■「ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ」
監  督 ジョー・タルボット
主  演 ジミー・フェイルズ
製作年度 2019年
状  態 映画館で観た

舞台はサンフランシスコ。主人公は、アフリカ系アメリカ人が多く住む海べりの地区で、友人宅に居候している。この地区の、マッチョな男性のコミュニティに馴染めない主人公は、暇さえあれば、友人とサンフランシスコ中心部の「ある家」に向かう。そこには、白人の老夫婦が住んでいるのだが、留守中、勝手にペンキを塗ったり庭の草を刈ったり手入れをする。

なぜか? どうやらそこは主人公の祖父、サンフランシスコで最初の黒人、がかつて建てた家であるらしく、特別な思い入れがあるのだ。あるとき、この家が空き家になったことで、主人公はこの家を手に入れるべく行動する。

ここまでが導入部。え、それ面白いの?という感じかもしれない。でもこれが退屈じゃない。さすがサンダンス映画祭の話題作。や、それがどれほどかよくわかってないけど。わたしとしては、ひとつは、映像と音楽の使い方がフレッシュということ、もうひとつは、人種と経済格差、ジェントリフィケーション、やっかいな男性のマッチョさなど、いまの社会問題が物語の構造に必然的なかたちで入っていること、このふたつの点で楽しめた。

振り返ると、より後者が印象に残っている。劇中、主人公が父親に「家」の話をすると、「あそこは黒人の住むところじゃない」と言われる。たしかに、サンフランシスコの中心地は白人だらけ。あの「フルハウス」の一家のような。アフリカ系アメリカ人が都市中心部に住めないのは、その家賃や土地価格が高すぎるからだ。その背景には不動産が投機対象になっていることがあり、そうなると、もともと住んでた人たちは街から出ることになり、それと矛盾することだが、家は居住目的じゃないので誰もそこにいない、ということが起きる。こういったジェントリフィケーションは、いま世界中で起きている。

主人公がこの「家」にこだわるのは、ここに自分のアイデンティティやルーツの拠り所としてるからだ。家族が離散している彼にとって、家は、自分と世界を結びつける唯一のものだ。が、それを取り戻そうとしても、家を買うほどの金は稼げずとても叶わない。最後は、友人になだめられ、また海べりの地区に戻っていく。でも、やっぱりそこが自分の居場所だと感じることはできない。

居場所を自分の意思で選ぶこと、これはそれほど高い望みだろうか。そんなことはないだろう。だが、頑な経済のシステムはときにそれをいっさい許さない。もともと土地なんて誰のものでもなかったのに。後半から、ハッピーエンドになれ!とずっと願いながら観ていた。しかし、最後のシーンで、主人公はひとりボートで海にあてどもなく漕ぎだす。この姿は、ほんとうに救いがない。それとは反対にバックは、夕暮れの海はやさしい紫色だ。よりそれがわたしをやるせなくさせた。どんなハッピーエンドがあり得たか、それを考えている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?