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ライブイベントの屋台的なカレー(2月エッセイ④)

今年の目標のひとつである「バンドをライブでたくさん見る」を実行するため、渋谷のライブハウスに気になっているバンドを見に行った。
今年確実に来ると言われているアーティストで、300人キャパの空間は満員だった。
いつもはアイドル現場にしかほとんど足を運ばないので、いつもと違う客層に若干緊張していた。
肝心のライブパフォーマンスは演奏も歌も期待以上にカッコよくて、口から音源が出ているのかと錯覚した。周りの人のことを忘れてしまうほど、音楽に没頭できた。
最高の気分で会場を出ると、ロビー全体にスパイスのいい香りが漂っていた。
匂いのもとはライブハウス特有の重たい扉のすぐそばにあった。小さいコンロの上に置かれた鍋の中で、カレーとルーロー飯が煮込まれていた。美味しさを象徴するようにふわっと湯気が立っていた。

だが、それらには一切目を向けることなく会場を後にした。
ライブだけ見られればそれでいい。無駄遣いすることなく、真っすぐ家に帰る。なによりこんな少量の飯に1000円も出せないと卑しい気持ちが働く。
ただ、そんな自分が嫌になってくる。

ライブのイベントで屋台的なものが出しているご飯に、躊躇なくお金を出しても財布に全くダメージの無い生活を送りたい。
「ライブ最高!カレーも美味しかった!」とSNSに写真付きであげている人を見ると、それだけで暮らしの質が違う人のように思えて、羨ましいとすら感じる。
その分、自分とは違うなにかを削っているのかもしれないけれど、そのゆとりある生活ぶりに人間としての格の違いを見せつけられている気がする。

僕が今持っている人生のゆとりは一体なんだろう。僕にとってのライブハウスのカレーは何なんだろう。
答えはおそらく時間だろう。KinKi Kidsも「時間は若さの味方だよ」と言っている。社会人で平日8時間拘束されているとはいえ、新人という仕事量の少なさと体力面でのアドバンテージで何とか暇な時間を捻出している。時間に都合がつけやすく、空いた時間を最大限楽しむことはできる。

ライブを見た帰り、間違って一駅手前で降りてしまった。
良いライブを見た後だし、散歩しながら帰るかと思ったけれど、すぐ面倒臭くなって、結局降りた電車に飛び乗って帰った。
時間的余裕すら上手く使うことができなかった。

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