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Xのおすすめ欄(3月エッセイ②)

X(旧Twitter)におすすめ機能が現れてから、大分目が慣れてきた。
最初は先頭のタブにあるのも、特に求めていない情報を目にさせられることに嫌悪感すらあったけれど、使い方が何となくわかってきた気がする。
これまでだったらフォローしている人が拡散するか、検索しなければ見られなかった投稿がいくらでも見られるようになった。今まで目にすることのなかった人の意見や立場が垣間見え、本来手にするはずのなかった情報が自分にとって刺激になっているように感じる。

自分の興味に近いトピックが現れることで、自分と違う見方を見つけることや知らなかった情報を得られるのは、ものの見方を広がっていく感覚がある。
ただ、やはり無数の情報がほぼ無条件に流れてくる以上は、極端な意見や不快感を覚えるものも出てくる。
そういった投稿を目にした時は、リプ欄を見てどんな反応が返ってきているのかを見てみる。共感する意見もあれば、納得いかないと批判する内容もあり、中には説教のような書き方をしている人もいる。リプに応戦する投稿主もいるけれど、話の要点が噛み合っておらず、堂々巡りをしているなと、はた目から見ていると感じることが多い。

そもそも140字以内で全部を伝えようということが難しい話なのだろう。
僕はSNSで何かを言おうとする前に、“このまま言うと、他人からここツッコまれるな。ということはこの説明を付け加えて投稿しないと、否定的な言い方とも取れてしまうぞ”と思いとどまることがよくある。表現を変えに変えて、気にし過ぎた結果、“どう頑張ってもこれは誤解を生みかねない発言だ、やめよう。”と投稿自体をやめることもしばしばある。

会話であればその場の反応を見て、一言付け加えたり、言い直しが効いたりするけど、SNSの短い文章だと言葉が少ない分、言いたかったことと受け取られる意味合いに余計にズレが起きやすい。表現が足りずに誤解や勘違いも生まれやすい。
どうして言いたいことが伝わらないのか、僕が思うに、人は気づかぬうちに自分にしかない“前提”を持ってしまっていることが原因だと思う。

例えば、「自分を出せていない人が多すぎる。もっと自分を出せ。」という投稿があったとする。こういった発言をする人は、この世に悪い人はいないという前提に立っているのではないかと思う。“良いところあるんだから、消極的にならずにアピールしろよ”というメッセージ性を感じる。
僕からしたら普段から考えていることが、表に出したところでどうにもならないし、どう考えても嫌われると思うからこそ控えめな態度を取ることがある。だから自分を出さないことにも意味はあるんだよと反論したくなる。

他にも「何事も無理しない方がいいよ。頑張りすぎちゃダメ。」という発言があったとする。
無理して潰れてしまった人が周りにいるのかもしれないし、その人は8割の力で大抵のことができてしまう人なのかもしれない。
でも、無理して頑張らないと達成できない事柄ってあるし、全然ちゃんと仕事をしてくれない人がこの発言をしていたら多分ムカつく。
前提が違う、一概に言えないことを簡単にまとめられるとモヤモヤしてくる。

嫌いな人間の不幸を喜んでしまうことはあっても、“嫌いな”がすっぽ抜けて人の不幸を笑う人間だと思われたら、自分の想定と周りの自分に対する見方は変わってくる。
説明していたって勘違いされることはある。

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