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リスペクトと優柔不断(2月エッセイ①)

去年の11月22日いいツインテールの日に、気になっていたアイドルのツインテールの自撮りを見て、イベントに行くことを決意した。
特典会でそのアイドルに「ツインテールの私と今日の私どっちが好き?」と迫られた。
ツインテールも今日の姿もどうしたら自分にとって一番似合う姿になるかをその方が考え抜いた上で、不断の努力がもたらしたものだと思うと、自分のただの主観でどちらかを選ぶという行為が、リスペクトを欠いたものに思えて、「どっちも好きだけど~」と言うただの優柔不断な人になってしまう。

これは可愛い!とかあれは好きじゃないとはっきり言える人は羨ましい。
相手の目や耳に触れる範囲で発言する場合、自分の意見で相手がどう思うか分からないし、ネット上は特に言い返すことが難しいから、当たり障りのないことを言おうとしてしまう。
「今日の○○可愛い!」と言えば、『じゃあ他の日は可愛くないんだ』と意識されたらまずい。「その服おしゃれだね」と言って、普段来ているブランドとは全く違うものだった場合、『これ一軍じゃないんだけどな』と思われたら、分かっていないやつということになる。
そこら中に踏んではいけない地雷が、転がっているように思う。

意思表示がとにかく苦手だ。
洋服を選ぶ時や気になるアイドルやアーティストのライブに行くのを決めるような自分にしか関係ない物事に関しては決断が速い。
だけど、例えば飲み会で話していて、自分の好きなものや知り合いに対して否定的な意見が出た時に、不快だと感じても口ごもってしまう。
まず、なんでそんなこと言うんだろうと頭がパニックになる。頭の中に反論が浮かんできても、場の雰囲気を壊す方が怖いし、相手の意見を否定して自分を敵だと認識されるのも後々厄介だなと考えてしまう。
何年か前、『あれ、でもこの人僕が○○好きって知ってるよな』と思いながら黙って話を聞いていると、「もちろん好きだって知ったうえで言ってますよ」と言われて、その時は少しゾッとした。

話のネタになっている人やものに対してのリスペクトが欠けていて、なおかつ自分がこの場で尊重されていないのだと思うと、悲しい気持ちになってくる。
聞いてもいないのに何かを嫌いな理由を論理的に述べられている時間は1番つまらない。あなたがどう言おうと自分の好きな気持ちには関係ないのだけれど、なぜこんなところで精神を削られなければいけないのか。
どうして嫌いだと思うのか聴きたいときもあるし、聞いていても全く不快じゃないときもあるけれど、「事実を言って何が悪いの?」という態度で臨んで来られると、主観で見ている世界と相手が見ている世界の切り分けをしない自分だけの世界を生きている人なのだと思う。

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