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#53:なぜFIREが流行るのかを考えてみた

Financial Independence Retire Early の略であるFIRE。最近ニュース記事やnoteでもよく目にする。40代の私には、みんな、大橋巨泉になりたいのかーというぼんやりと認識だった。

パターンは色々あるものの、基本的な路線は、日々の支出を極限まで切り詰めて、何らかの投資を行い、早い時期に働かなくても食べていける金融資産を築くことのようだ。

経済的自由を獲得したい。好きなことに時間を使って暮らしたい。老後にお金の心配したくない。まあ、どれもわかる気はする。

わかる気はしつつも、個人的には少しマネできないなー、と思う点がいくつか。そして、それでも流行ってるのはなぜなのかも考えてみた。

なお私の知識不足や偏見による記載もあると思われるので、不快に思う方がいたら、予めお詫び申し上げます。また誤解なきよう書いておくと、FIREを否定するものでも何か物申したいわけでもなく、あくまで自分の価値観に合わない部分を分析したものです。

FIREまでの生活

何歳でFIREするかは人それぞれ目標は異なるが充分な金融資産を得るまでの生活は、ある意味、FIRE後の生活のためにあると考えられる。

人によって、その抑制や倹約、もしくは努力のレベル感は違うものの、目標に対して何かしらを強いている部分は少なからずあるようだ。

まず、その今の暮らしに制約をもうけて、将来に何かを得る感じは個人的には受け入れ難い。計画性もなく、少し刹那的な自分にはその発想自体が驚いてしまうほど。こちらは来年ですら想像できないのに…。

仕事に対するマイナスな固定概念

これも全ての人に当てはまる訳ではないけど、原則、仕事は仕方なく続けているという位置付けが多い。だからこそ、早期退職へのモチベーションも湧くのだ、という事なんだろうけど。

最低限、収入源としての仕事は確保しつつ、それ以上の仕事にまつわる煩わしさにはなるべく距離をおく。人によっては、職場関係の人たちとは一切個人的な付き合いはせず、もしくは、残業なども全て断り、副業に専念するなど。

職場の人間関係も、ましてや残業することを支持するつもりもないし、副業を否定するわけでもない。それでも、本業として生活の大半の時間を費やす仕事や職場に対して、徹底的に線を引く感じは、個人的に窮屈さを感じる。

プライベートを大事にするのは、海外でも普通ではないかと言われるかもしれない。その通りだし、海外で働いた経験からしても、仕事に対するドライさは海外の方がはっきりしている。でも彼ら、彼女らの大半は、仕事も大いに楽しんでいる。そこが嫌だったら、次の仕事を目指す。かなりシンプルな行動原理だ。

FIRE関連の文脈には、仕方なく仕事で時間を浪費している、というマイナスな固定観念が強いストーリーが多い。そのため、極力その時間は短くして、将来の資産形成につながることになるべく時間を使うという発想。

仕事って、そんなにマイナスなのかしら。

素朴にそんなことを感じた。

お金のことが中心

これが個人的には一番しんどいこと。FIREを目指すには、恐らく常にお金のことを中心に考えを巡らせる必要がありそうな点だ。

お金は重要。経済的自由を獲得できたら、それは素敵なことだと思う。

でもそれは、なぜ素敵かというと、一切お金のことで心配や不安にならないからだ。言い換えると、お金のことを全く考えずに済むから。

最初にFIREを目指すきっかけとして、お金の不安(特に老後など)から解放されたいと考えている人もいるかもしれない。でもFIREを成し遂げてそうなるには、それまで散々お金のことをずっと考えて生きないといけない。

人の生き方にケチつけるわけではないけれど、それは何だか大変そうだなーと思ってしまう。

いや、もちろんこちらも何かしらお金のことは考えて暮らしているものの、頻度と考える深さや長さの違い。

それでも人々がFIREを目指す理由

それでもなぜFIREを目指す人がたくさんいて、ここまで流行るのか。

ひとつの仮定は、FIREまでの生活がそれなりに充実して楽しいからではないかと思っている。

ある種の自己実現ができているのでは、と。

人は何にしろ、成果として目に見えるものがあると、そこに達成感を感じる。ダイエット中に体重減少がデジタルに分かるとやる気になるしテストの点や模試の順位など、他人と競う時でも数字がある方が分かりやすい。

FIREを目指していると、自分の金融資産が日々積み上がっていくのが目に見えると思う。その額が大きくなればなるほど、自分の努力や成果が積み上がる感覚になるのでは、と推測する。

これは仕事で給与や年収、ボーナスなどの金額が上がるときに感じることと、ほぼ同じかもしれない。それに加えて、色々な節約や考え抜いた投資や副業などがうまく噛み合って、資産形成に至った場合は、より高い充実感があることはある程度想像できる。

その場合、FIREした後の生活

もしそうした仮定が正しかったとした場合、金融資産が積み上がってしまうと、その充実感はもう味わえなくなる。手段が目的にすり替わった結果とも言える。

ただし、あくまで仮定なので、無事に目標額が貯まった後、当初目指した通りの悠々自適な暮らしを満喫している人もいるかもしれない。

個人的にFIREが最も魅力的ではないのは、この段階かもしれない。果たして何をして過ごすのだろうか。まあコロナが明けてれば、海外旅行に行ったり、国内のレジャーも楽しんだり、そこそこの時間は潰せるかもしれない。

それでも恐らくその後は何をして良いか、途方に暮れるのではないかと思う。もちろんFIRE後に働いてはいけないというルールもないので、やりたいことを見つけて働くのも良いかと思う。

だとしたら、大きく一周したような気がする。結局、ワタシはたぶん働いてしまう。その場合だと、早期退職とはいったい何になるのか。

もちろん今の仕事とは違う職場や勤務条件で、緩やかに働くという選択肢もある。むしろ、それを目指している、FIREな人もいるかと思う。

何だかそれも分からなくはないのだが、それはそれでかなり遠回りしているように思えてならない。それなら最初から、そういう仕事をしっかり選び直した方が直接的に思える。

まとめ

と、つらつら自分がFIREに無縁だと思われる理由について考えてきた。

金融資産を増やすことや経済的自由を得ることは大いに賛成だし、自分にも役に立つ知識が多く、これからも関連記事は読むと思う。

一方で、仕事観や退職後の生活イメージが少し異なるのかなーというのが分かった。

長文をお読みいただきありがとうございます😊


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