【中国日誌】667日目 23.6.18

様々なタスクを重ね、私の知識の体系を構築していく。それは、とても退屈で、とても固定的で、とても遅い。私たちの時間間隔で言えば、遅すぎで、意識しなければ、見逃してしまう。物質世界にある物とは違い、知識の体系と言うものは、実体が無く、形而上で、捉えることも、容易ではない。存在しないものを、存在しているかの如く、扱うのだから、よっぽどの、意志力と動機が必要である。故に、一般的には、そういった存在は、とても面倒で、難しいタスクの為、意識されないと、考えられる。だからこそ、知識の遅すぎる成長を、意識的に捉えることが、重要なのである。意識の動きは、植物の成長速度と同じではないかと思う。植物は、気づいたら、成長している。1日、1日の、成長速度は、とても遅く、知覚的に、その変化を捉えることができない。しかし、1か月を経て、久しぶりに、植物を見れば、良く成長したな、と、感じれるのである。見るという動作は、非常に簡単であるが、植物を見るように、知識の体系を見ることは、とても、難しいのである。私は、植物の成長を見るのが好きである。なぜ好きなのかは、分からない。けれど、植物の成長と、知識体系の成長を、どこかで、重ねているのかもしれない。そういった、比喩的なイメージが、知識体系を見る感覚を、より、容易に、より豊かに、してくれるのかもしれない。我が脳内に芽吹く、知識樹に、感謝を。

朝5時に起き、支度と日課。ピアノを1ッ時間半。11時過ぎに出発、12時から2時間、中国語教室。その後、プラプラしながら食材を買って帰り、15時に帰宅。その後、洗濯して、ピアノ弾いたり、本を読んだり、いろいろして、17時前に食事の準備をして、食べて、20時過ぎに、本を読み出して、21時すぎくらいに寝た。

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