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神さまを信じている人と信じていない人の違いってなに?

神さまを信じていることと
信じていないことに
幸せやお金儲けの因果関係はありません。

ですが信じている人と信じていない人では
大きく道徳観倫理観は変わります。

神さまを信じている人は常に何かに
見られている意識が働いているので
人の目がないところでも公共と同じ行動をしています。

例えばタバコやゴミのポイ捨てのように
人の目がないところでも
自己中心的ではなく自分を律する行動がとれます。

おそらくこういう公共マナーを守れない人は
神さまを信じていない人だと思います。

だからといって神さまを信じていない人を先入観で否定したり
神さまの存在を信じたほうがいいと言いたいのではありません。


神さまの存在に限らず
目に見えないものを「信じている人」
行動には一貫性があるってことが今回の主題です。


多くの人は人の目があるところと

人の目がないところでは行動や言動が違うことがあります。

それは
人に見られているか、見られていないか
で判断しているからです。

目に見えないものを信じている人は
物理的な視線がないところでも同じ行動がとれます。
それは精神的な視点で物事を判断しているからと言えるでしょう。

反対に目に見えないものを「信じない人」
物理的な目が判断の基準になっているので
時として環境に応じて意見や信念が変わってきます。
二面性があるともいえるでしょう。

信念が環境によって変わる人って信用できますか。
二面性がある人と付き合いたくと思いますか。

本人のいないところで
他人の悪口を言ったりするのも同じです。
見ていないところでは何をしてるか分かりません。

小さい頃に親に言われました。

食べ物を残すと「もったいないお化けが出るよ」って。
小さい頃は本当にお化けが出ると思っていました。
でもそれで残さないようになりました。

神さまでなくとも
「目に見えないものを信じる人」って表裏が無くなります。

というより
人の目のないところでも手を抜かないのです。


人の目のないところで手を抜く人の
そういう姿勢はそのときには、さほど影響はありませんが
数年後には必ず返ってくると思います。

人生は投じたものしか返ってこないといわれるように
自分のした行いは確実に戻ってきます。

そもそも信じない人は、こういう話も信じないでしょうけど…。

神さまがいるかいないか
信じるか信じないかそのものに意味はなく
その根底にあるものを見られているってことです。


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