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#149 会って、話すこと。

田中泰延さんの書籍というのは前回の『読みたいことを、書けばいい。』もそうでしたが、冗談のような文章の中に必ずガツンとくる気付きがありまして、いつも読み終わると「なるほどー」と妙に納得するというか、腑の”深いところに”落ちる感覚を味わせてくれます。

2作目となる『会って、話すこと。』で言えばそれはnoteタイトルにしました機嫌よく生きることの大事さになりますのでそのことを整理しつつ文字にしておこうと思います。


■コ口ナで気付いた

全ての悪の元凶は自分自身の機嫌の悪さにありました。

そう気づくことが出来たのは奇しくもコ口ナ禍という状況のおかげでした。未曽有の事態に翻弄され、在宅ワークで出社が制限されるまで僕は仕事の鬼でした。
”鬼”というとなにか熱血鬼コーチ的なパワハライメージが付きますがそうではなくて、朝から晩まで会社か通勤電車の中にいる狂った仕事人間だったのです。(いや、ほとんどの人がそうだったのでは!?)

今だから言えますが、あの時の自分は正に妖怪。
どうしてそんなに眉間にしわを寄せてまで毎日睡眠4時間前後で頑張っていたのかと問わずにはいられません。まさしく鬼の所業。つまり仕事の鬼だったわけです。


在宅ワークを強制されて朝7時に悠々と起床して僕は思いました。
「やだ、すこぶる機嫌がいい」

数年ぶりに生きる意味を考えた瞬間でした。


■最悪

それまでの僕は最悪だったと思います。
なんというか、攻撃的でした。森羅万象に対して(笑)。

家の中で子供たちのしでかしたミスに寛容になれませんでした。ようやく訪れた休日に急遽やりたくない予定が入ったりするとイライラしました。
外出はしない方が嬉しいと思うようになり、家族で出かける時間が減りました。
町内会の仕事と家の掃除をしてたら日曜の夕方なってしまった時はこの世の終わりかと思うぐらい落ち込み、不貞腐れました。

結果イライラし、些細なことを不満と感じるようになりました。堪忍袋の緒がユルユルでちょっとしたことで攻撃的になりました。

要は不機嫌だったんです。常に。

生活の中に余裕という名のスペースが無くなっていて息苦しかったのが全ての原因でした。


■いかにして機嫌よく生きるか

田中さんの本は機嫌よく生きることがとても大切であることを教えてくれます。

機嫌よく、とは余裕があることです。
余裕がある、とはmustでは無いことをする時間があることです。

僕の場合はそれが文字を書くことだったりします。こうしてnoteを書くことは生きていく上でmustではありませんが、生きていく上でmustである余裕がある証拠と言えます。


「機嫌よく生きる」とは、人生を豊かにするうえでとても素晴らしいキーワードだと思います。
機嫌が悪くなるものを少しずつ排除することで、生活が一変しました。子供たちに寛容になり、家族に笑いが増え、周囲の人を俯瞰的に見て、良い部分がたくさん見えるようになりました。
体を動かしたりする時間が増え、生きている心地がする様になりました。実際に体重も減って健康的な気もします。

仕事を一生懸命頑張っていたわけですが、そのおかげで不機嫌になるのならそんなものは頑張って継続してもきっとうまくいきません
だったら機嫌よく生きるための条件を模索して、実際にそうなるように環境を整えて、結果として仕事をセーブすることになっても、その方がアウトプットはきっと上手くいく。そう思うのです。


機嫌よく生きましょう。
努力と根性は機嫌を悪くしてまで行うものではありません。成功する人は、その環境が腑に落ちていて(機嫌よい状態にあるから)、努力と根性で成功を掴みます。

機嫌よく生きましょう。




本日も、最後までお読みいただきありがとうございました!



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