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#203 ロスト・ケア(喪失の介護)

人間というのは見たくないものを避けたがる傾向にあって、まぁそれは当然の行動だと思うんだけど、
問題なのはそれによって先送りにされた不都合な真実が後になって顔を出した時にすっかり手遅れになっていること。

その時に「あぁ次はしっかりやろう」などと何度も何度も同じ過ちを犯して、何度も何度も同じ後悔するんだけど、それならまだましな方なのであって、

本当にヤバいのは、後悔する余裕もないほどに事態が蝕まれていたりすること。
つまり手遅れで済まないほどの、手遅れ。それが今の少子高齢化だったり社会保障制度だったりする。



■高齢化

映画化されるというので手に取ってみた「ロスト・ケア」という本。物語ベースで進んでいく小説はそこら辺の痛烈な社会コラムよりよっぽどリアルで、なかなかに苦しい読み物だった。

ある意味、ホラーやサスペンスよりよっぽど怖い


先に述べた、見たくないものを見せられたような状態で、それでいて手遅れ感が凄い。要は、ちょっと焦った。
その焦りとは、個人としてでもあり、国としてでもあり、つまり自分で何とかしなくてはいけない範囲と、自分の力などでは到底何ともならない範囲の両方だ。

介護とはすなわち人が尊厳を保ったまま生きていくための必要な行為だと思うが、その尊厳を保つ行為が異常に金と時間を要する
であればそれこそが税金で搔き集めた金の使い道だと思うが問題が2つある。

それは正しい人に正しく支援が行かない今のクソみたいなシステムと、それからそもそも財源が足りないという問題。いわゆる少子化だ。



■社会保障費のグダグダ感

あまり言わないようにしていたがここのところの税金の増え方はヒドイ。わかり易い消費税に議論は注目されがちだがそれ以外の税金はちょっとづつ、どさくさに紛れて、確実に上がっている。

働いて勝ち取った昇給分は、恐ろしいことにほとんど増税(累進課税含む)で持って行かれる。正直、ふるさと納税の制度が無かったら発狂しているレベルだ。

しかし、
その増税分が正しく社会保障費として回っているなら文句は無い。実は僕の周りにも”選んだ旦那が悪かった”という以外落ち度のない理由でシングルマザーを強いられている知人がいる。

彼女やその子供たちの未来に税金が使われるなら文句は無い。そしてそれは介護の世界でも同じだ。

しかし、知識が増えれば増えるほどそうでもない輩がその税金を貪っている現実が見え隠れして辛い。果たして僕らは何のために金を巻き取られているのか。
ガー〇ーとか言う議員が国会に出席するかどうかなんてもはや全く興味が無い。要はあの男に報酬や経費さえ支払われなければ僕はそれでいい。多くの人がそう思っているはずだ。

しかし税金で飯を食っている懲罰委員もまたその論点が見えていない。もしかしたら彼ら自身、自らの逃げ道を考慮して議論しているのかもしれない。



■儒教の倫理観

人間というのは自分の力では何もできず、食事も入浴も排せつ物の処理も誰かに手伝ってもらう状態で産まれ、そして全く同じ状態に戻って最期を迎える。

ある意味よくできた仕組みで一生を終えるわけだ。

ただし、
一つだけ大きな違いがある。それは赤ちゃんは可愛くて未来があるが、老人は醜くて未来が無いという事。

金も時間もかかるこの作業に、頑張れる動機があるのが育児で頑張れる動機が無いのが介護かもしれない。はっきり書くと辛らつだが、目をそらしてはいけない現実でもある。

少なくともお世話になった親に対する感謝という動機はあるかもしれないが、これが子を持たない老人だったらどうだろう。

現在は子供を産まない選択をして人生を謳歌する人たちが増えている(一方で望んでも子に恵まれない人もいる)が、将来自分の介護を誰がするのかが見えない。
介護は要らないからぽっくり逝かせてくれと言うかもしれない。でも今の社会でそんなことをしたら殺人になってしまうのが実態だ。

要は少子化は税金負担だけの話だけではない。介護という物理的な負担も多分に含んでいるから厄介なのだ。


では今よりよっぽど貧しかった近代の日本はどうだっただろうか。
ここに儒教の倫理観が効いてくる。

儒教とはすなわち封建社会の基本的精神。つまり絶対君主のもとになる考え方。この倫理観においては年上、あるいは位が上の人に対して絶対服従を当たり前とする概念がある。
つまり老人は尊いのである。

現代では信じがたいが、
例えば海におぼれた際に子供と親(老人)のどちらか一方を手放さなくてはならなくなったとき、江戸時代や明治初期の人たちは迷わず赤ん坊を海に放り投げたという。

これが儒教の教えだ。

この精神があれば、
可愛くて未来がある育児に対して醜くて未来が無い介護であってもそれを頑張れる動機は存在する。

しかし、今はそれすらない。



■最期

「ロスト・ケア」を読んだ時、これからやってくるかもしれない介護の世界を憂うよりも、自らが要介護になった時の心配で満たされた。

そして、
介護で他人(例えそれが我が子であっても)の手を煩わせるぐらいなら、人知れずぽっくりと逝きたいとすら思った。


介護はきれいごとではない。
それは介護する側としても、される側としても同じだ。

勇気があるならぜひこの小説を手に取ってみて欲しい。
”それ”は来るところまで来ている。






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