自分の通過点とすべき場所

「自分」という存在がわからなくなることがある。
別に病んでないが。
何のためにやって、誰のためにやっているのだろうか。突き詰めても、受かるかわからないものになんで自分はここまで本気で、人生賭けているレベルでとりくんでいるんだろうか。
どこまでやったら自分に満足できるのだろうか。
浪人なんかして、総合型にも挑んで、インターンもして、東京にまで行って。
頑張れとか頑張るっていう言葉になんて聞き飽きて、自分の精神とかモチベーションを支えるのは、一昨日あの行きたい大学に行って聴講した時の臨場感と応援してくれる誰かを笑顔にさせることだった。

いつの間にか自分の中で大学に入ることが全てではなくなった。
でも、大学には入る。あの大学に行ったらもっと自分がイキイキできると確信したから。勝手な思い込みだが、自分はこの大学で学ぶべきだと感じた。自分の「好き」を極められる、好きなことに対する努力家になれるのはここしかないと思った。そして、けして満足することはなく、常に学ぶことに飢えを感じ、自分を磨き上げてくれるのもここだと感じた。
憧れの教授にも、会ってこの人の下で学びたいと思った。でも、その環境は自分を満足させてしまう場所だとも感じた。他と違った生き方をする自分が賞賛されて対して凄くもないのに有頂天になる未来が見えた。あとは、また孤独を感じながら一人で動き続けないといけないから。切磋琢磨できる仲間が私にはずっと欲しかった。自分の行動力と縁のおかげで色んな大人と出会ったのはありがたいが、同世代にはほとんどおらずずっと一人。心からの「凄い」と思ってくれる人はほとんどいなくていつの間にか、一目置かれた存在になってしまった。

自分の憧れの人をはじめ、様々な人に今まであなたならどこでも頑張れると
言われた。自分もそう思う。環境だけの違いだと。でも、今回行きたい大学に行って改めて環境の重要さについてわかった。ある意味、どこでも良くないと。

モチベーションの上昇とここに行きたいという思いがより強くなった。

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