#147 読書日記23 あいまいな喪失とレジリエンスの強化
新年を迎えた途端、毎日のように人の命にまつわる痛ましいニュースを目にしている。
先日、noteのフォロワーさんのご家庭で不幸があったことを読み、いろいろと考えさせられると同時に思い出したことがある。
2011年の東日本大震災から数年後、スクールカウンセラーに薦められて読んだ本だのことだ。
記憶が曖昧になっている部分もあるので図書館で借りて読み直してみた。
あわせて、自分がブログやFacebookに書いたことを掘り起こしてみた。
あれから13年の歳月が流れ、そして能登半島地震。
過去に書いたり講演で話したことを引用したい。
■曖昧な喪失
「遺体が見つからない = 死を受け入れられない状態が続く」
曖昧な喪失感の典型的な例である。
肉親や親しい友人、愛すべき人を失ったとき、この悲しみをどう乗り越えていけばよいのだろうと考えることがある。
30代から40代にかけて両親が亡くなったとき、いろいろな感情がわき起こった。
教え子が事故や自死で命を失ったときも心が痛んだ。
川で溺れて流され、約2か月後に遺体が上がった教え子がいた。
当時、教頭だった私は、遺体が見つかることを祈りながら、定期的に家庭訪問し、曖昧な喪失感を引きずっていたシングルのお母さんを励まし続けたが、自分自身、無力感に苛まれた。
変わり果てた姿に、誰が我が子だと受け入れられようか。
DNA鑑定で白黒はっきりさせても喪失感は解消されない。
人の死はどんな形であれ悲しみに包まれる。
「どこへ行ったの?」
「いつ会えるの?」
「早く会いたい」
と自身の心の中を彷徨い続けている人々がいる。
本のタイトルにあるレジリエンス(resilience)という言葉は「回復力、弾性、しなやかさ」と訳される。
困難や危機などストレスフルな出来事に遭遇しても立ち直ることができる力だ。
回復には個人差がある。
曖昧な喪失は、近親者の不慮の死や行方不明、認知症等による意思疎通の不調のほか、転職や移住、離婚等によっても引き起こされるという。
原因や背景をとらえて症状に応じたレジリエンスの強化をどうすればよいのか、本書はアプローチの仕方や解決の糸口についてヒントを与えてくれる。
■死のとらえ方
私たちは「死」というものをどういう文脈で理解し日常を過ごしているのかという歴史的解釈や研究事例がたくさんある。
「死」に対する認識は宗教を起源としているという説は、死を「一時的な不在」と見ようとするところからきているとされている。
死後は「あの世」(天国や地獄)へ行くという考え方がある。
「今ここにはいないけど、あっちにいるよ」
「見えないところであなたを見守っている」
など、国により、宗教により独特の「死後の世界」がある。
毎日仏壇に向かって手を合わせたりお盆になるとお墓やお寺にお参りし、あっちの世界にいる人へアクセし心の中で対話する。
死というものを医学的・科学的・物理的に「無」として完全に受け入れることができるなら、死者に語りかけたり、生まれ変わりによって戻ってくるとか、霊として存在するという考え方も生まれないのかもしれない。
神話の世界である日本書紀や古事記にも伊邪那岐命、伊邪那美命が、死者を現世に取り戻そうとする行動が描かれている。
私たち人間は、亡くなった人のことを心の中で思い続け、感謝し、その遺志を後世に伝えようとして生きているのかもしれない。
曖昧な喪失に陥っている人々が救われることを願わずにはいられない。