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相続が争族になった日 2 裁判所と悪徳行政書士と母

自筆証書遺言を書き上げたとき、父は小さな細い声で呟きました。

「ああ、これでほっとした」

相続人全員が揃って見守る中、荒い息を整えながら。

母は口には出しませんでしたが、その表情は必死に怒りを押し殺しているようでした。

「妻のこの私がなんで全部もらえないのよ!」

「どうして四分の一なのよ!」

間違いなく、顔にはそう書かれていました。

その表情を読みながら、私は思っていたのでした。

「自業自得よ、ざまあみろ」と。振り返ればすでに私たちは争族予備軍でした。

自筆証書遺言にはお作法があります。

民法改正により財産目録はパソコンやワープロでもよい、通帳のコピーの添付でもよいなど、かなり楽にはなりましたが、本文は自筆でなくてはなりません。それも、あやふやだったり省略だったりすることは許されず正確が大切です。

そして、遺言執行人を指名しなければなりません。実行してくれる人がいないと意味がありません。

長女である私が指名され、書き加えられました。長男もいるのですが、父の信頼が得られなかったのです。

このことは、弟が私と対立する原因のひとつになったかもしれません。考えるということが苦手な弟だったので、母の手玉になってしまったのでした。

父がもっともこだわったのが自宅土地です。

約100坪ほどの土地の名義を、四人の共有名義とすることにしました。父の望む通り、四分の一ずつです。

書きあがった遺言書はミミズがはったような右肩下がりの文字で、一見貧相な出来栄えでしたが、父は最後の署名までしっかりと書き終えました。

苦労して書き上げた大切な遺言書を封筒に入れ、封印をしました。

封筒を開封するときには、家庭裁判所に出向かなくてはなりません。それまでは私の自宅で保管をしました。母に預けたら廃棄されてしまいます。

死後に検認手続きを行うまで、大切に保管するのです。

今は、自筆証書遺言も法務局で保管してくれるという制度があり、その場合家庭裁判所での検認手続きの必要はありませんが、父のときにはまだ開始されていませんでした。

遺言を書き上げた父は、呟いた言葉通りに安心したとばかりに、それからわずか一週間で天国へと旅立ちました。

そしていざ、大変な手間と手続きを経て、家庭裁判所での遺言書の開封、そのときが訪れました。しかし当日は私以外の相続人は誰も来ませんでした。内容を既に知っているのだから当然といえば当然でしたが、この重要性を誰も理解できていなかったのだと、後に痛感したものです。

わたし一人、裁判所へ出向き、一人で開封を確認し、一人で預かり帰宅し保管しました。私は父に託された遺言執行人。後は遺言を執行するだけです。

ところが誤算が生じました。

100坪の自宅土地が、分筆されたままだったのです。

もともとの自宅は60坪で、隣が引っ越し更地になったときに40坪を買い足したのでした。これはうっかりしていました。そこでこの際だからと、合筆した上で、遺言通りに分けることを提案しました。

ここに母が食いついてきたのです。

「お前(娘)の言いなりにはさせない。40坪は私(母)だけのもの」

私が腹黒く根性が汚く、どうしようもない悪い娘だと電話で親戚中に吹聴しまくったのです。同時に自分がいかに可哀そうな目にあっているかというアピールも忘れません。

思えばこのときは既に、悪徳行政書士との連絡の取り合いが始まっていたのでした。

続きます。

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