見出し画像

安心を与えてくれる場所


きのうは2回目の一時保育。はるくんはそれまでごきげんに歌っていたのに、車から降りると「あやしい」と感じたのか「だっこして」になり。園の前に着くと「はいんないね?おさんぽ、いく?」と確認。これは先週と一緒だ!と気づくと「おさんぽ、いくー!」と泣き始めました。

いや、わかるけど、「おかあしゃんがいいー!」じゃなくて「おさんぽいくー!」なのね(笑)保育士さんに「うんうん、すぐにおさんぽいくよー」と言われながらだっこで登園となりました。おかあさんと離れるんだと1回目でわかった分、そりゃあこの前とはちがって泣くよね。

でも大丈夫、おかあさん知ってる。はるくん、おかあさんがいなくなったあと、楽しく遊んでるってこと。お迎えの時にも泣いてるけど、おかあさんが「いるから」泣いてるんであって、いなくなったら大丈夫ってこと。案の定、たのしくどろんこ遊びをして(はるくんどろんこ大好き)、ひとりでぱくぱくおべんとうを食べていたとのことでした。ほーら、ね。


預けた後、こんなに気が楽になったのはいつぶりだろうと、ふと思う。はるくんを預けたことがないわけじゃない。母に預かってもらったり、夫に見ててもらったり、預けることは今まで何回もあったのに。でも、何かちがうんだ。今日は特に、いつもとちがってすごく「軽い」感じがする。なんだろう、この感じ。

しばらくして「あぁ、わたし今、心から安心しきっているんだなぁ」と気付いた。

親や夫に預けると、その時間自由には動けるけれど、いつも心のどこかで「大丈夫かなぁ」と気にしていた。泣いてたら見るの大変だよな、走るようになったからおさんぽするの大変だろうなって「大変だろうなぁ」と思っていた。身体はこどもから離れてひとりだけれど、心のほうはちっとも離れていなかったんだ。


でも。今日預けているのは保育園。保育士さんたちが見ててくれてる。預けている園はベテランって感じの先生ばかりで、こどもが泣いていてもぜんぜんへっちゃら。泣くのなんてあたりまえのことって見ていてくれるし、あわあわしたりしない。

夫は「いつもはおばあちゃんに預けてるから安心だけど、今日は大丈夫かなぁ」と心配そうだったけど、私はかえって保育園のほうが安心。だって泣いていたってこどもは大丈夫だもの。泣いていても、あたたかく側にいてくれる保育士さんたちがいるなら大丈夫。

夫の言葉を聞いて、反射的にそう思う自分に気付いて、自分がそれほどに保育士さんたちを信頼していたのかと気付いて驚いた。

でも、知っているのだもの。保育園がそういうところって。働いてた時は大変だったから「あー、なんで保育士になったんだろう」って思った時もあったけど、保育園で働いてたことが、今こんなにありがたくなるなんて。


「大丈夫」と心に言い聞かせるのとは違って、完全に「大丈夫だと知っている」ということが「安心」という感覚を連れてくるんだな。「もうそうだと知っている」って、疑う気持ちすら湧いてこないものね。そして、この「安心」があるとないとでは、同じ状況でもこうも違う感覚になるんだ。

今まさに、はるくんに「安心」をつくろうとしてくれている保育士さんたち。そして今、私に疑いようのない「安心」をくれている保育士さんたち。ありがとう。改めてすごいお仕事だなぁ。こどもに何を与えているのかは知っていたけど、おかあさんにこんな作用があっただなんて、自分がその身になってみないと知らなかったよ。


おうちに帰ってから、一緒にあそんでいる合間合間にすーっとそばに寄ってきて「おかあしゃん、あいたかったよ」「ごようじおわった?まってたよ」って小さな声でささやくはるくん。ありがとう、とってもいい時間をもらったよ。

はるくんにも「もう疑いようのない大丈夫」「安心」がはやくやってくるといいね。おかあさんは保育園は大丈夫って知ってるよ。はるくんも、そのうちわかるようになるよ。いっぱい泣いて、いっぱいよしよししてもらって、いっぱいたのしいこともしてたら、きっとすぐにわかるようになるよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?