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ストーン劇場(1)

2005年9月1日、木曜日の夜、男は仕事を早めにあがると真っ先にベーソルトシティへと向かった。足取りは軽く、歩幅がいつもより大きく感じる。自分が軽い興奮状態であることに気づいた。ベーソルトシティは世界的に有名な劇団の多くが劇場をかまえ、定期公演を開いている。男のお目当てはストーン劇場。他の劇団と比べて劇場は小さく、ベーソルトシティの中心街からはかなり外れた、静かな通りに面している。シートの数が少なく、ほんの一握りの人しかチケットを取ることができないという噂だ。どこでチケットが買えるかも知らない。本当に公演を行っているのかも分からないという。しかし、その劇を一度目にしたものは人生が変わる、という噂だった。

男が劇場に着いた頃、通りにはまだ数名の客しかいなかった。開演の2時間前、少し着くのが早すぎたか…。だが男はこの静かな通りが、開演が近づくにつれ騒がしくなる様子が好きだった。まるで遊園地の開園を待つ子供のように、男はワクワクしていた。ストーン劇場では月に一度「ペイナイト」と呼ばれる特別な公演がおこなわれている。今日がそのペイナイトだ。

ペイナイトとはチケットが飛ぶように売れることから名づけられたとされる、ストーン劇場の名物である。それもそのはず、ペイナイトでは本当にチケットが宙を舞う。劇場の屋上から団員がプラスチック製のチケットをばらまくのだ。しかし、そのチケットの大半はハズレで、当たりを手に入れることができるのは二人か、一人だとされている。(実際、当たりを手にして大喜びしている人を目にした事がある)チケットを手に入れるために払う額は10ドル。しかし10ドルで買えるのは、チケットが舞ってくるパーティションの中に入る権利だけ。チケットが手に入る保障はない。流行らないレストランの皿洗いをしている男にとっては、10ドルは決して安くない。普段はチケットを売ってるのかも分からない劇団だ。ペイナイトなどと謳って、劇団など存在せず。ただ金を巻き上げている集団だという人もいる。ただ男はストーン劇団に強い憧れを抱いていた。ペイナイトに参加するのはこれで20回目、男は完全にその魅力にとりつかれていた。

劇場のスタッフは出てくるやいなや、ペイナイトナイトの準備を始めた。準備が始まると、すでに集まった客は誘導に従い劇場の前を一旦離れ、通りを抜ける。劇場に面した通りの端から端、幅10メートルほどのストリートがパーティションで区切られた。男を含む客達は入り口のスタッフに30ドルを手渡し、「サファイア」とスペルが綴られたバンドを代わりに受け取った。今月の誕生石だ。バンドの裏には自分の名前を書く欄と、「あなたの夢はなに?」っと書かれた空欄があった。先ほどとはうって変わって、劇場の前はお祭りムードである。「ストーン劇場」っと書かれた大きく、煌びやかな横断幕が掲げられ、七色のスポットライトが劇場を駆けるように照らしていた。売り子がポップコーンやジュース、アイスを販売しているが、どうやらこちらはストーン劇場が用意したものではないらしい。

売り子がいつの間にか居なっているのに気づいた頃、パーティションの中はほぼ満員になった。それから10分ほどで会場はぎゅうぎゅう詰めに、サファイアバンドが巻かれた腕を掲げ、今か今かとペイナイトの開始を煽っている。ほどなしくてすべての照明が消え、ついにその時がきた。口笛やら、拍手やら歓声が止まない内に、それは始まった。

「あぁ今宵ペイナイト!夢みる者に夢を与えよう!」

屋上でスポットライトを浴びるシルクハットの男性がいつものフレーズを口にすると、バン!っと大きな音とともに銀テープが会場を襲った。壮大なミュージックを合図に、劇場の大きな扉から踊り子達が華麗なダンスを披露しながら登場し、後ろの建物の上には合唱団がコーラスを奏でる。建物から対岸の建物へ幕がかかり、そこからさらに人が吊され、空中を舞っている。ど派手でそれでいて力強いパフォーマンス。このパフォーマンスを目当てにペイナイトに来る人が、参加者の大半を占めている。だが本番はパフォーマンスの終盤である。ついにチケットが宙に舞う、通りに面したすべての建物の上からジャラジャラっと音を立てチケットが大量にばらまかれる。観客はチケットに無我夢中、手を伸ばして必死にチケットを取ろうとするもの、帽子を掲げて一つでも多くチケットを手にいれるもの、上に夢中になっている客を尻目に地面落ちたチケットをかき集めるもの、男も帽子を掲げチケット求めた。しかしこれがなかなかうまく入らない。結局取れたのは3枚だけ、どれも無地のチケット、ハズレだった。

パフォーマンスが終わると客はハズレのチケット地面に捨て、ゾロゾロと帰っていった。スタッフは専用の掃除機のような装置でチケットを吸い上げ、回収する。慣れた手つきで会場の片づけを始めた。今回も当たりのチケットにはありつけなかった。男はパフォーマンスの高揚感が醒めないまま、他の客と同じように劇場をあとにした。しようとした。靴の踵に違和感を覚え、その違和感を拾い上げた。靴に挟まったそれはチケットだった。チケットには宝石のマークが描かれており、その下に印字がしてある。「Congratulations!Painite!」それはまさに当たりのチケットだったのだ。

チケットを劇場のスタッフに見せると、何も言わず笑顔で劇場の扉の方に案内された。扉を塞いでいたジェントルマンにチケットを見せると、劇場の扉はあっさりと開かれた。床にはレッドカーペットが敷かれ、さらに奥の会場へと続いている。レッドカーペットの脇には、先ほどまでパフォーマンスをしていたダンサーや合唱団が待機しており、拍手で迎え入れてくれた。まだ現実のものとは思えない、夢心地な気分、そして照れくさくもあり、緊張していた。ゆっくりとレッドカーペットの上を歩き、奥の扉に手をかける。その向こうには意外な光景が広がっていた。

扉の向こうは何の変哲もないただの劇場だった。目の前にはとても大きいとは言えないステージに、地味な紺色の緞帳が降りていた。男は呆気にとられ、ただ入り口に佇んでいた。すると耳元で何者かに急に囁かれた
「がっかりしました?」
男は情けなくわぁ!と声を上げてしまった。後退った勢いでバランスを崩し、尻餅をつく。
「すみません!驚かすつもりは!」
そう言ってその人物はゆっくりと手を差し伸べた。良く見ると、ペイナイトのいつものフレーズをいうシルクハットのあの人だった。男は差し伸べられた手を遠慮がちに握ると、シルクハットの人物はその手をしっかり掴み、男起こしてやる。そしてそのまま握手するように手を上下に揺らした。
「ようこそ、今宵のPainite」
「僕が…ペイナイト?」
「そう、あなたがPainiteだ」

(2)へ続く

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