コンビニバイトで地元のおじいちゃんのアイドルをしていたあの頃

大学生の頃、私は3年半の間セブンイレブンでアルバイトをしていました。家から歩いて10分、自転車なら5分あるかないかで着くほどの近所のコンビニ。

私の地元は決して都会ではなく、所謂ベッドタウンです。都会の名古屋からは電車でたった10分しか離れていませんが、田んぼがいっぱいあって、夏になるとかえるがたくさん鳴いています。公園や小学校、図書館や市民会館もあるような場所に、そのセブンイレブンはありました。


全てこなさなければならない仕事

レジの経験も無く、接客の経験もほとんど無かった私。コンビニでのアルバイトは、覚えることが大変で、最初は「やっぱり私には無理かも」と泣きそうでした。

レジ打ちの他にも検品、品出し、公共料金の支払い、宅急便の受付、メルカリの受付など、コンビニはマルチにやるべきことを覚えなければなりません。

まだ18歳だった私にはもちろん煙草の知識も無くて、銘柄を言われても分かりません。

私は元々、複数のことを同時にこなすのが苦手です。昔から母親にも「あんたはとろい」と言われてきたので、自分でも自分のことをそう思っていました。だから、あれもこれもやらなければならないコンビニ業務に驚いて、必死にメモを取りました。

コンビニ店員って馬鹿にされがち

コンビニ店員って、なぜかとても見下される傾向があります。「所詮コンビニでしか働けない奴」と思われているのだと思います。

煙草の銘柄が分からなくて、男性のお客様に酷い言葉を投げかけられた時もありました。外国人のお客様の言葉が聞き取れなくて何度も聞き返していたら、「耳おかしい!」と馬鹿にして怒鳴られたこともありました。その時は涙が溢れてくるのを他の従業員にバレないように、必死に顔を背けて隠していたのを覚えています。

私は負けず嫌いなので、「絶対に煙草覚えてやる!」と思いました。

それ以来、「この人はこの煙草、あの人はあの煙草」と覚えられるようになりました。それだけでなく、「この人はレシート要らない人」「この人はお弁当を暖める人」と、細かく覚えて、1人1人に合わせた接客ができるようになりました。

おじいちゃんたちのアイドル

地元のコンビニだったので、お客様は常連の人が多かったです。同じ人が毎週大体同じ時間に来て、決まったものを買っていくのです。

土曜日の午後、絶対に中京スポーツの新聞を買いに来るおじいちゃんがいました。「中京」「…あと、ホットコーヒー!」と言うのがお決まりのセリフです。私は密かに心の中で「中京のおじいちゃん」と名付けていました。

そしてそのおじいちゃんは、何かと私に話しかけて来るのです。

「アンタ髪の毛変わったか?」とか、
「アンタ好きな番号なんや」とか。

「2番が好きです」と答えると、「2番かぁ〜、2番は当たらんぞ〜」と言いながら、競馬に賭ける番号を決めたりします。

「アンタかぁ!誰か分からんかったがね!」とからかってきたりもします。絶対に分かってるくせに。

でも私は、そのおじいちゃんが来るのを楽しみにしていました。そのおじいちゃんが中京スポーツを買いに来ると、土曜日の午後を感じることができたのです。

おじいちゃんの生きる意味になれたかな

他にも印象的なお客様がいました。

私がコンビニバイトを辞める最後の半年くらいに来るようになった車椅子のおじいちゃん。

棚の高いところにあるコーラを買いたいけれど、おじいちゃんには届かないので、毎回取りに行ってあげるのです。

そして、お店の中をゆっくり1周した後、揚げ物コーナーのコロッケとメンチカツを買うのでした。

だけどそのおじいちゃんは、お会計が終わってもなかなか帰りません。おしゃべりがしたいのです。

「こんな風に歩けんくなってまって、もう生きていたくない」と繰り返していました。

私はその呟きを聞いて、なんとかしてこのおじいちゃんの気持ちを変えてあげられないかな、と思いました。私自身、高校生の頃に鬱になった経験があり、「もうこれ以上生きていたくない」という気持ちが痛いほど分かったからです。どうしても、このおじいちゃんをそのまま帰したくなかったのです。

「私、土曜日のこの時間はいつもいるので!またコロッケ買いに来てくださいよ!いつでも待ってます」と、精一杯微笑みました。

そんな言葉をかけたって、私はおじいちゃんの足を治してあげることはできません。おじいちゃんの絶望を全て取り払ってあげることもできません。自分ってなんて無力なんだろうと、寂しくなりました。私はただの女の子で、私はただのコンビニ店員で…。家に帰ってからも、何度もおじいちゃんのことを思い返していました。

そして1週間後。

その日もいつもの同じ土曜日の昼の仕事をこなしていたら、自動ドアが開きました。

なんと、またあの車椅子のおじいちゃんが来てくれたのです。

その日もコーラを取ってきてあげて、コロッケとメンチカツを袋に詰めて、車椅子の持ち手に袋を下げてあげました。

「まぁ自分で何もできんくなってまったでなぁ。情けないわ」と零すおじいちゃん。

「でも、またここまで来てくれたじゃないですか!ここまで来るの、大変だったでしょうに!」

他にお客様がいなかったので、10分程ゆっくり会話を交わし、ようやく満足したのか、おじいちゃんは車椅子を出口の方に向けました。

「じゃ、ありがとう。また来るわ」

そう言い残して。

私はそれがとても嬉しかったのです。

私は所詮ただの女子大生で、ただのコンビニ店員で、ただのアルバイトで。そんな私が声をかけたことで、車椅子のおじいちゃんの明日への意味をほんの少しだけ作ってあげられたのではないかな、と思いました。

コンビニ店員だったことを誇りに思う

「カフェでバイトしてました」とか「居酒屋でバイトしてました」と言った方が華やかで、「コンビニでバイトしてました」というとどうも地味な印章に見られます。

コンビニ店員が小馬鹿にされる風潮も、未だに消えません。

だけど、私はコンビニ店員でいられたあの3年半を、すごく良い思い出だと思っています。いろんなお客様に愛されて、私にもお客様への愛が生まれて、自分も社会の歯車の一部として誰かを支えられているような気分でした。

コンビニで学んだ経験は、きっと今後の人生において、たくさん役に立ってくれるのだと思います。

今でもふと考えます。今週もあのおじいちゃん、中京スポーツ買ったかな。


自分の書いた言葉を本にするのがずっと夢です。