見出し画像

読書感想文 『「正しさ」の商人』林智裕(徳間書店)


俺にとって福島県いわき市小名浜は祖父の実家であり、盆暮れに帰ったり帰らなかったりする場所だった。それは今でもそうだ。港町らしくソープが乱立し、潮っぽい風と深緑色に濁った臭いドブ川、あとはヤンキーと公務員しかいない町と言う印象だった。
だった、と言うかそれは今でも変わらない。相変わらずソープ街であり、潮っぽい風の吹く町であり、濁ったドブ川が流れる臭気が立ち込め、トタン屋根のバラック小屋が並び、3000万御殿を建てた土建ボーイがランボルギーニを走らせ、パチンコ屋の広大な駐車場にはコンクリートの隙間から雑草が伸び放題になり、呆けた祖母が死に狂いかけた祖父も小高い丘の上にある墓の下に入った今でも変わらない。

そこは被災地だから訪れる場所では無く、親戚がいるから行く場所だった。だから俺はそのスタンスを変える気がなかった。
「被災地だから」「一度は見ておかないと」みたいなのが厭だったのもある。そこはダークツーリズムの観光地じゃないし、創作のインスピレーションを得る為の場所でも無いし、人生の記念写真を撮る場所でも無い。
だから敢えて行くことはしなかった。行かないことを揶揄されても良かった。そこは俺にとって単なる福島県いわき市小名浜でしかなかったからだ。

それは基本的には他の地域も同じで、敢えて行くと言う事に俺は納得が行かなかった。結果、随分と経ってかは復興支援目的で幾許かの金を落としに訪れた程度だ。今になってみれば、それも曖昧だったと思うけれど。

そこには誰かの生活があり、日常があり、自分と言う非日常そのものである存在が我が物顔で闊歩するのは違うと思っていたし今もそう思っている。ゆえに観光をするなら、主義主張も創作も全部を家に置いて、ちゃんと観光をしたい。

*****

メディアもそれが仕事である以上は、視聴率だとか聴衆率だとか売上部数とかPVでやってる訳だし、そうなるとセンセーショナルな事を書いて他社を出し抜いてやりこめて勝たない事にはメシにならない。そうやって先鋭化していくし、やればやるほど後戻り出来なくなる。

視聴者や読者がそれを求めているからと言うのもあるし、だからと言っていつまでもいつまでも安心を求め続け、無責任に「でも」「しかし」「一方で」と批判だか追求だか問題提起だか曖昧な事を言い続け、安全な場所から弱者に寄り添う仕草で、問題の解決をするでも無く科学的根拠を示すでも無く、無意味な比較をしたりする。

確かにいまは連合赤軍はいないし御巣鷹山事故も無いし湾岸戦争も無いしイラク戦争も落ち着いてしまったし、そう言う場が無かったのが大きい気がする。ジャーナリストとして、報道屋として、血湧き肉躍る獅子奮迅の活躍をして称えられたいみたいな感覚が多かれ少なかれあったと思う。浮き足立ってたメディア陣を見てそう思わない人間はいなかったろ。

そこで意識を正常に保っていられる人間の方がどうかしてる。そんな異常者は大手メディアになんか身を置いてられなかったろ。

そうやってセンセーショナルな事をやり続けた仕事が日常になり、習慣になり、伝統になり、信仰になる。だからもう引き返せない、と言う人たちも少なくない気がする。仕方が無い。和解も相互理解も不可能なんだ。色んな宗教だとか武道だとかラーメン屋がそうやって分裂してきた、それと同じ様に俺たちも分裂するんだ。同じ言語で同じ月を見ていたとしても。

*****

不安を煽って問題にして、その問題を金にすると言うヤクザみたいなやり口で因縁を付け続ける人たちがいるのだなぁ。何とか誰とか言わないけれど。
嘆きの壁を挟んで、その向こうには分裂した俺たちがいて不安が払拭できなかったり安心を出来なかったり、信用できないとか信頼できないとか、色々とあるんだと思う。
そう言う人たちを紹介することでまた不安を煽り、問題にして、金にするシステムのビジネスなんだなと思うけれど、問題はそのビジネスを信じてしまう人たちも一定数いて、だからビジネスがやめられないし止まらないし、循環して円環の理になる。理になると、それを信じない異教徒や異端、異邦人たちと敵対を始める。

正気でいられる運があるうちに美味い飯を食べに行かなきゃならない。

*****

メディアのひとたちがこれを読んでどう思うかは知らない。プロメテウスとかを喜んで読んでいる層はきっとこれを読まないし、読んでもわからないだろうなと思う。


この記事が参加している募集

読書感想文

この経験に学べ

サポートして頂けると食費やお風呂代などになって記事になります。特にいい事はありません。