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【短編小説】電気を消すな

 すっかり冷えて固まったピザをビールで流し込む。油っぽいゲップを吐き出すと「牛蛙みてぇだな」とおれは笑った。
 ポテトチップもチーズもすっかり食べきってしまったし、ビールもチューハイもコーラも飲み切ってしまった。煙草もいま火をつけたのが最後の一本だ。
 慎吾は横になると、尻を乗せていた座布団を丸めて頭の下に敷いた。
「もう、寝るかい」
 おれが尻から細長いゲップを出しながら訊いた。慎吾は覚束ない手つきで空き缶を探りながら、指先に挟んだ煙草をとんとんと叩いて灰を落とした。
「ん、適当に寝る」
 慎吾が振った空き缶は、中でジュッと言う音を立てて煙草を消した。
 おれもそれに倣って空き缶に吸い殻を押し込むと、立ち上がって電灯の紐に手を伸ばした。すると慎吾が頭を持ち上げておれを薄目で見ると「あぁ、言い忘れてた。電気はつけっぱなしでいいよ、出るから」とだけ言って、丸めた座布団に頭を落とした。
 出る。
 ──何が?
 おれは慎吾に尋ねようとしたが既に石臼を引く様ないびきをかいて眠っていた。そのいびきの裏打ちをするように、窓の外からは秋虫の鳴き声が聞こえてくる。
 出る。
 おれは口の中で何度か呟いた。電気を消して出ると言うのは、あの触覚が長く足に毛の生えた忌虫のことか。それとも下品な齧歯類か。
 否。
 否定すれば尚更、それが妙な現実味を伴ってくる。
 冗談じゃあない。
 おれは笑おうとしたが上手く笑えなかった。
 伸ばしかけたままの指先から逃れる様に、天井から下がった電灯の紐が扇風機の風で揺れた。
 冗談じゃあない。
 おれは手の中に収まった紐をひとつ引いた。
 バヂ、という音を立ててひとつ暗くなった。
 冗談じゃあない。
 おれはしばらく、みじろぎもせずに立ち尽くしていたが何も起こらなかった。部屋には相変わらず石臼を引くような慎吾のいびきと、外から聴こえる秋虫の鳴き声が重なり合っていた。
 おれは急に可笑しくなってしまい、声を出して笑った。ああ、笑えるじゃないか。
 冗談じゃあない、何も出ない。
 慎吾のやつめ、くだらない事を言いやがって。脅かしやがる。何が「出る」だ。
 おれはひとしきり笑うと、バチバチと電灯の紐を引いて室内灯を元の明るさに戻すと、慎吾と同じように座布団を丸めて頭を載せた。
 翌朝、と言っても昼近くになってから目を覚ますと慎吾は既に起き上がっていた。
 音を消したテレビを眺めていた慎吾は、灰皿に刺さったシケモクから比較的長いのを抜き出しながら目をおれに向けると、視線を一瞬だけ首筋に落としてからニヤリと笑い「おまえ、電気を消したろ」と言った。
 おれが「消したが、何もでなかったぞ」というより早く耳元で「だから消すなと言ったのにね」と言う声が聞こえた。

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