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統合失調症という病気は患者にとって捨て去るべき属性に過ぎない

統合失調症という精神病がある。それに罹ると多くの人は精神障害者となるらしい。精神障害者の定義は障害者手帳を持っているかどうかだが、それは人間が決めたことだ。
また、統合失調症というのはその人の個性ではない。捨て去るべき属性に過ぎない。もし、自己紹介で、「私は統合失調症当事者です」とか、「私はトーシツです」などと言う人は改めたほうがいい。少なくとも、「現在は」と枕詞を付けるべきだ。将来は治る可能性があるとしたほうがよい。現在、精神医学では統合失調症は治らない病気であると言われているそうだが、当事者は、精神医学に敬意は払いつつも、治ると信じたほうがいい。「寛解です」と言う人もいるが、その言葉のチョイスも、精神医学が敷いた障害者の人生のイメージの上にいるようで良くない。人生は自分で選ぶものだ。自分も自ら作るものだ。「トーシツです」とゆるいマンガみたいなイメージの中にいるのは望ましくない。もちろんそれでとりあえず精神が安定しているならば薬になるが、その薬も長期間使いすぎると毒となる。統合失調症の患者は、その病の苦しみから解放されて羽ばたいていかねばならない。いや、いかねばならないというか、誰もがそれを望むはずだ。それならば、寛解と言ってまた再発する可能性を含ませるよりは治ったと信じる方がいいと思う。
人生は誰かが敷いたレールの上を行くべきものではない。統合失調症という困難に陥った者ならばなおさらだ。それは波瀾万丈の人生を生きるチャンスと捉えてもいい。私はソーシャルワーカーを名乗っているが、福祉の敷いたレールの上を生きることには懐疑的だ。就労支援施設などから社会へ出て行くというようなレールがどうも納得できない。なぜなら、それは個人の人生ではなく、障害者の人生のイメージをなぞることになるからだ。人生一般のイメージにも私は懐疑的だ。そもそも、思春期、とか、青春、などという言葉は誰が作った言葉だろう。青春とはいつからいつまでを言うのだろうか?十四歳から三十歳だろうか?それとも十二歳から三十一歳だろうか?それとも四十過ぎても続くのだろうか?この多くの人に定着している青春という言葉も眉唾物だと思う。人の人生は人それぞれだ。統合失調症になったからといって他の同病者と同じような人生を生きる必要はまったくない。だから、私は自分を「統合失調症当事者です」とか、「トーシツです」とか、「精神障害者です」などと自己紹介するべきではないと思う。もちろん統合失調症になった者は好んで福祉施設に通うわけではないだろう。仕方なく通うのだろう。本当は健常者として生きたいと思うだろう?私は統合失調症の人が就職したいと言うならば、福祉施設ではなく、ハローワークに自分で行くことを勧める。そして、自分の仕事は自分で選ぶべきだと思う。これは当たり前のことだ。いきなり正規職員としてフルタイムで働けとは言わない。世の中にはパートとかアルバイトというものがある。そういった一般の求人から、一般なのにまるで福祉の環境みたいな職場を選ぶといい。あるいは自分を鍛えてくれそうな仕事、職場を選ぶといい。どうやって選ぶか?その方法は私もまだ考えていないが、とにかくリハビリになりそうな職場、仕事、勤務時間から選ぶといいと思う。障害年金をもらっていて生活がなんとかなるとしたらなおさら、そういう挑戦はすべきだと思う。その挑戦は障害者としての人生ではない。個人の波瀾万丈の人生の幕開けだ。
とにかく、統合失調症の患者は主体性を持つことが大事だと言える。自分で選んだ仕事をこなしている、と思うのと、人に勧められた就労支援施設で働いている、と思うのとでは、充足感がまるで違うと思う。また、統合失調症にはさせられ体験というのがあるらしい。自分でやっていることなのに誰かにやらされていると感じることだ。これを克服するにも、誰かに決められた仕事ではなく、脳内の別の自分でもいいから、自分で決めた仕事をするのがいいと思う。しかし、実際に仕事を始めると、仕事というのは大抵そうだが、新しい職場では右も左もわからず、上司や先輩の言うとおりにしなければならない。そこにはさせられ体験とリアルに命令されてやる仕事とが重なる。これが一般の職に就くメリットだ。命令されてやるのは健常者も同じだ。つまり、させられ体験をしながら、健常者と同じことができる。さらに、就労支援施設との違いはすでに一般で働いているという自信にもなる。だから、統合失調症を患っていてそろそろ働こうかな、と思っている人は、就労支援施設を探すのではなく、ハローワークで一般の職を探すと良いと思う。
このように就職について具体的なことを述べてきたが、私がこの文章を通して言いたかったことは、「障害者としての人生を生きるな、自分のオリジナルな人生を生きろ」そういうことだと思う。
 
 
 
 
*追記
この記事を読んで私が統合失調症のことをわかっていないと思われる方は、私の過去の記事を読んで欲しい。相当な熟慮の末の哲学であるとわかっていただけるはずだ。

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