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十代からの哲学。「恋が愛に変わって・・・」とか。

哲学とはたぶん誰もがやるものである。
その始まりは十代の頃から始まる。いや、もっと幼い頃かも知れない。ただ、十代になるとそれが大きく人生に関わってくる。
哲学?と聞くと難しい学問を思い浮かべる人もいるかも知れないが、そんな学問としなくても十代では大抵やっているものなのだ。
「恋が愛に変わって・・・」とか十代では言うかもしれない。この「恋」とか「愛」は具体的な物ではない。抽象的な観念である。恋と愛の違い、考えた人は多いだろう。あるいは「夢」とか「友情」とか、十代で重要な観念はいくつもある。「将来」か「今」か、とか。
そのようなことを私たちは考えて生きるのである。つまり誰もが多少は哲学者なのである。
しかし、多少は哲学者かも知れないが、完全な哲学者になる人も少ない。哲学だけをしているには人生は矢のように過ぎていくのである。「恋が愛に変わる」ということを現実のものとして体験した人もあるだろう。また、逆に哲学が実人生とは違和のあるものだと感じた人もあるだろう。しかし、いずれにしろ、哲学は生きながらにしなければ意味がない。立ち止まったまま考え続けていれば、時だけが過ぎていくのである。哲学だけをやっていては、生きていることにはならないかもしれない。では生きるとはどういうことか?と言えばまたこれは哲学になり立ち止まることになる。言葉で答えを見つけようとするのではなく、行動して実感として掴み取る方が有意義かも知れない。例えば、わかりやすい話をすれば、高校生で同級生に好きな人がいるのに、それが本当の「恋」なのかどうか考え込んでしまい、卒業まで告白しないで、別れてしまうよりは、告白して、付き合ってみるのがよい場合がある。仮にそれが失敗であっても、「恋」とはなにか、抽象的に考えているだけよりは、告白した方が充実感はあるだろう。人生とはそういうものだ。頭の中だけで議論しているのではなく実際に行動に移してこそ、「生きた」と充実感を掴めるだろう。哲学だけをやっていて充実感を掴めるときというのは、哲学者になって本が売れたときとかそういう実際的なときくらいしかないかもしれない。私は哲学を否定しているのではない。「哲学だけ」を否定しているのである。

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