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西洋哲学の入門書として最適なのはアリストテレスの『形而上学』

今回は哲学書を読みたいが何から読んだらいいかわからない人に向けて書きたい。
私は哲学者でもなくその研究者でもない。ただ、大学が哲学科だったこともあって、全く哲学書を読んだことのない人よりは読んでいると思う。
私はたまたま哲学科に入ったのであり、それまでに哲学書なるものは全く読んだことはなかった。
で、大学生になり最初に読んだのはキルケゴールの『死に至る病』だったと記憶している。理由はその本が薄かったことだ。すぐに読めると思ったのだ。しかし、内容はわからなかったような記憶がある。
次に読んだのは、カントの『純粋理性批判』である。これを読むと、最初にア・プリオリという言葉がたくさん出てきて面食らう。しかし、慣れてくるとその意味がわかる。というか、「先験的」という訳で意味がわかる。そして、読んでいくとその哲学書のクライマックスと言えるような場所に至ると、大きな感動を覚える。私にとってそれは理性が感動しているという生まれて初めての読書体験であった。コペルニクス的転回と言われるものである。これは慣用的に「目から鱗」みたいな意味で使われることが多いが、『純粋理性批判』を読んでいればそのような単純な意味で知ったかぶって使うことは控えるようになると思う。たしかに私も目から鱗だったが、カントの言うコペルニクス的転回の意味がわかったときの驚きが目から鱗なのであって、コペルニクス的転回が目から鱗という意味ではない。理性の感動を覚えたい人はぜひ『純粋理性批判』を読んでみて欲しい。
次に私が読んだのは、アリストテレスの『形而上学』だった。これも驚くことがたくさんあった。特に驚いたのはアリストテレスは物事の原因には種類があり、始動因、形相因、質量因、目的因、と分類している。このうち私が一番驚いたのは、「目的因」である。私がここにいる原因は何か、と問うとき、父と母が交わって私が生まれたから、などと過去に原因を求めるのは「始動因」である。この「始動因」はどこまでも遡ることができ、宇宙を始めた最初の原因まで遡ることができる。これは現代の科学ならば当然の思考だ。しかし、アリストテレスは、「目的因」により、私がここにいる原因は、例えばその場所が食卓であれば、「夕食を食べるため」だと言う。これが目的因の考え方だ。私はこの考え方に目から鱗が落ちた。
この記事の表題にあるように、私は西洋哲学の入門書としてはこのアリストテレスの『形而上学』をお勧めする。古いギリシャの哲学書をなぜ、勧めるか。それはこの本に、西洋哲学の源流の全てが詰まっていると言っても過言ではないからである。ギリシャ哲学にはソクラテス、その弟子のプラトン、さらにその弟子のアリストテレスと、大物がいるが、ソクラテスの哲学を知りたければプラトンを読めばよく、プラトンを知るには、もちろんプラトンを読めばいいのだが、アリストテレスの『形而上学』を読むとその批判があるので、プラトン、アリストテレスの哲学両方を知りたければアリストテレスの『形而上学』を読むのがお勧めだ。「西洋哲学はプラトンとアリストテレスの注釈の歴史だ」と有名な言葉があるくらいに、このふたりの存在は大きい。その両方を比較できるのがアリストテレスの『形而上学』である。それとアリストテレス以前のギリシャ哲学の批判も行われているので、ギリシャ哲学を知る上でも『形而上学』はお得な本だと思う。これを読んでおけば、新しい哲学書も読みやすくなると思う。

*上の写真はアリストテレスの作った学園「リュケイオン」の遺跡です


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