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小説家を目指す私はマニアックな小説を紹介できない。王道を紹介する

私は本日、別の記事で、哲学書とマンガを紹介した。哲学書はアリストテレスの『形而上学』で王道中の王道を入門書として紹介した。マンガの方はマニアックなものが紹介できたかな?と思う。美樹本晴彦の『マクロス7トラッシュ』だ。
で、今回は小説を紹介しようと思うのだが、私は王道しか読んでいない。
高校生の時に、上級生の生徒会長が生徒会のときに「終わり良ければ全て良し、というシェイクスピアの言葉にあるように・・・」と言ったときに、私と友達は、「え?それってシェイクスピアなの?」と顔を合わせて言って、生徒会長の博学に感心したものだが、今思えば、そんなところにシェイクスピアの名前を出すのは少年としてはキザであるような気がする。中途半端に成績が優秀な伸び盛りの学生ほど、そういった、権威ある文学からの引用には弱いように思う。私は子供の頃はマンガしか読んでなかったため、小説は高校一年の秋から読み始めた。最初に読んだのは司馬遼太郎だった。しかし、高二になると、精神病を発症してしまい、小説が読めなくなった。大学に進学すると、小説を読み始めた。
ここから、小説紹介になるが誰もが知っているような内容になると思う。
まず、お勧めしたいのは、セルバンテス『ドン・キホーテ』だ。私はこれを大学生になってすぐに読んだ。非常に面白かった。読書家の母に訊いたら、母は小学生のときに子供向けを読んで内容は知っているとのことだったが、私は子供向けでは面白くないだろう、と思った。そのとき初めて、子供時代に背伸びをしなかったことを幸運に思った。世界の文学を子供向けではなく原典を読めることが嬉しかった。何かの挨拶で、「風車に立ち向かっていくドン・キホーテのごとく」などと言う人は本当に『ドン・キホーテ』を読んだのかと疑ってしまう。風車の件からあとが面白いのだから。
次に紹介したいのは、ユゴー『レ・ミゼラブル』だ。これは超有名だ。ボリュームがあるから少し読み始めるのに勇気がいるかもしれない。しかし、読み始めれば止まらなくなるし、読み終わってからの世界の見え方も当たり前だが読む前とは変わる。私はこの話を、私の職場である老人ホームの入所者のおばあさんとして、共通の話題が持てたことも嬉しかった。彼女に「一番好きな小説は何ですか?」と訊くと、「レ・ミゼラブル」と言った。そこで私がツッコんで、「お?レ・ミゼラブルと言いましたね?」と言うとふたりで笑った。これを少し解説すると、『レ・ミゼラブル』は昔、『ああ、無情』と訳されていたらしいからだ。このように昔の名作は読んでいれば老若男女話が合うところが魅力かもしれない。「ジャン・ヴァルジャン」と言えばそれだけで共通の話題が持てる、素晴らしいことだ。トレンディドラマの話題など若いうちの同世代にしか通用しない。と、ここでユゴーの作品をもうひとつ。それは『ノートルダム・ド・パリ』だ。これはディズニーのアニメで『ノートルダムの鐘』というのがあるが、原作はあんなアニメをはるかに凌ぐ傑作である。特にラストシーンがいい。憎いくらいにいい。そのラストの影響を受けただろうと私が想像する作品で、日本の谷崎潤一郎の『春琴抄』がある。これも傑作だが、どちらも甲乙つけがたいが、私はユゴーの方が好きだ。いや、あのラストはほんと憎いっす。
今回はセルバンテスとユゴーを紹介したが、子供向けを読んでいない人はチャンスだと思って読んで欲しい。これらの作品は大人向けに書かれたものだ。王道を原典で初めて読むというのがいかに素晴らしいか。子供向けを読んで読んだつもりになっている人や、そもそも文学に関心がないフリをして、自分でも気がつかないうちに文学に囚われている人はたくさんいる。内面を見つめすぎるのも問題だが、見つめたことのない、ただ、外ばかりに意識が向かう人の見苦しさが文学を通してわかると思う。文学は世界をひとつにする力があると思う。


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