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私はまだ小説家を名乗れないが、思想家は名乗れるかもしれない

私は小説家を目指しているが、まだ、紙の本や電子書籍を出版しているわけではないので、小説家は名乗らないことにしている。自称小説家も世の中にはいるが、それは構わないが、私はそれは恥ずかしいと思って自称しないことにしている。小説家になることは夢であり、夢を叶えた瞬間は自分から宣言するのではなく。世間に認められたときに取っておこうと思っている。だから、まだ小説家ではない。
しかし、思想家ではあるかもしれないと思う。
特にこのnoteに精神病の統合失調症になってからの生き方について多く投稿してきた。その思想は一貫性があり、自信がある。それについては一冊の本にまとめてもよさそうだが、そこまでの意欲はない。しかし、noteで無料で読めるので、自分が統合失調症になったり家族がなったりした人は、参考になると思うので私の過去の記事を読んで欲しい。
それと、私はときどき、小説家平野啓一郎の「分人主義」を批判した文章を書く。その中でも『哲学の場所。「分人主義」を批判する』は多くの方が読んでくださっているようだ。検索エンジンで「分人主義批判」とやれば出てくると思う。そこでは哲学的に分人主義を批判しているが、私は哲学者を名乗るつもりはない。なぜなら、私は哲学というものがどういうものか知っていて、私がいかに哲学者を名乗るには足りないかがわかっているからだ。だから緩く思想家としておいたほうがいいと思う。
どちらかというと、分人主義の批判者としてより、統合失調症になってからの生き方を論じたことの方が、重要なことをやってきたと思う。私はこのnoteをソーシャルワーカーとしてスタートさせたが、その活動は文章を書くことだけに留まってしまった。そして今は、ストーリーライターとしてのほうに軸が移っている。そこでは小説だけでなく、エッセイを書く。自分の考えを書く。だから思想家と言えると思う。ただ、対外的に、「私は思想家です」などとは恥ずかしくて言えない。だから、早く小説家としてデビューできるように頑張りたい。

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