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小説を書くときの、計画性と即興の効果

私は一年四ヶ月、「小説家になろう」というサイトに、実験即興小説を連載した。
まったくのアドリブで、結末のイメージはあったが、そういったものをノートにメモすることなど一切せずに、ただひたすらパソコンに向かった。
アドリブつまり即興はその場の自然な流れを重視する点では良いと思う。
しかし、今日、即興でない書き途中の長編小説を読み返してみて、完全な即興がいかに計画性がなく無謀であるかがわかった。
反対に、その書き途中の長編小説は、アイディアノートには多くの書き込みがあるが、なかなかまとまらない。それを打開するには即興を効果的に使うのがいいかもしれないと思う。
ただ、結末を含む、いくつかの通過ポイントは設けておいた方が良さそうだ。即興だけでは作品全体のバランスが崩れるからだ。
私は読む速度が遅いので、その自分の書き途中の小説を読み返すのに半日かかった。
読み応えとしてはまずまずだと思う。
しかし、読んでいると即興とは違い、その場のエンタメ感よりは俯瞰して見た文学性に重きが置かれているように思えた。
しかし、エンタメ感は必要だと思う。
面白く読めて、なおかつ、読後感が良いもの。もう一度読んで新しい発見があるもの、そういったものが私の目指す小説である。
私は純文学ともエンタメとも違う、これまでの枠に囚われない小説を書きたい。
今年こそ、小説家としてデビューしたい。

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