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無駄に歳を食ったガキ共

「「社会人の仕事に対する気持ちを舐めない方がいい」。安住紳一郎アナが一部の若者をバッサリ。辛辣に喝を入れたその理由とは?」
(ハフポスト日本版)


 スシローにおける犯罪動画の件が騒がしい。
 タイトルの「無駄に歳を食ったガキ共」であるが、犯罪動画を投稿する様なヤツらを指したものと思うなら、それは誤解である。
 誤解と言うか、もっと範囲が広い。
 例えば引用した記事で、頓珍漢な意見を恥ずかし気も無くベラベラ喋っている男、安住紳一郎氏。
 コイツの様な、道徳の「ど」の字も知らないまま大人になったガキ共。コレらをも含む表現である。


「学生の皆さんは本当に社会人の仕事に対する気持ちを舐めない方がいいと思いますね。本気で怒るとかなり怒られます。怖いです。気をつけてください」

出典:引用した記事より

 この様な意見を見聞きして、「その通りだ」とか「良い事を言っている」などと少しでも思った人は、己の道徳観を見直すべきである。

 犯罪動画は社会人に怒られるから撮ってはいけないのか?
 万引きは捕まったり学校を停学になったりするからやってはいけないのか?
 詐欺とか強盗とか殺人は、警察に逮捕されて裁判で有罪になり、刑務所に収監されたりするからやってはいけないのか?

 そうでは無い。
 この様な行為は、ただ単にやってはいけないのである。
 「怒られるから」「逮捕されるから」「前科が付くから」「刑罰を受けるから」というのは後の問題である。
 人としてやってはいけない事と、「やらない方が総合的に見てお得」などという損得勘定の間には、何の関係も無い。
 勿論、人としてやってはいけない行為に対する抑止力という意味で、法や刑罰は必要である。だが、「だからやらない」というのは違う。「そもそもやらない」事が重要なのである。


 人が人としてやってはいけない行為は、端的に言うと3つである。
 「騙すこと」「奪うこと」「殺すこと」
 これらは、次の様に認識しなければならない。
 「騙すな」「奪うな」「殺すな」という事である。
 これらは、「捕まるから止めておいた方が良いですよ」とか、「止めておいた方がお得ですよ」という様な、損得勘定を交えたハナシでは無い。
 これらは、絶対遵守の命令である。
 「騙さない」「奪わない」「殺さない」
 これらを犯さないという事が、人として生きるという事である。

 社会に「騙すヤツ」「奪うヤツ」「殺すヤツ」が出てくると、治安が乱れる。
 治安を乱さない様にする為、抑止力が必要である。
 即ち、法や規制である。
 社会に「騙すヤツ」「奪うヤツ」「殺すヤツ」が増えれば増える程、法や規制は微に入り細を穿つ様なものになる。
 そうするとどうなるか。
 治安維持にコストが掛かる。利権が沸いてくる。富裕層がカネの力で上手く擦り抜ける一方で、思わぬ所で足を掬われる中間層や貧困層が増える。
 法や規制が複雑な社会に、起業家や投資家が好んで集まるだろうか?相互信頼を前提とした文化が醸成されるか?そんな事は絶対に有り得ない。

 道徳というのは、自由闊達で、私有財産権が保障され、誰もが意見を言える様な社会を維持する最重要事項である。
 子供は教えられなければその様な事を知らない。道徳の何たるかを知らない大人は大人では無い。無駄に歳を食い、図体ばかりデカくなったガキである。
 「怒られるから」「捕まるから」
 この様なバカ発言をするヤツの事である。

 スシローの件で言えば、あの様な犯罪動画を撮影する行為は、一企業が築き上げてきた信頼と実績、それが齎す利益。それを奪う行為に他ならない。
 利益とは企業、或いは個人の私有財産である。
 利益があるから人は生きる糧を得られる。
 誰もが「騙さない」「奪わない」「殺さない」からこそ、人は自由を謳歌出来るのである。


※補足①

 ガキは道徳の重要性を知らない。
 ガキに道徳を教えるのは親の責務である。
 もし、ガキが不道徳を働いたらどうするか。
 言葉を尽くして理解させる事が出来れば良し。しかし、言葉では理解させられないという事は往々にして有り得る。
 まして、道徳というのはある意味で理屈じゃない。
 理屈じゃないが、やってはいけない。それが道徳である。

 言葉を尽くしてもダメな場合はどうするか。
 この様な場合、人には素晴らしい教育方法が受け継がれてきている。
 それは、体罰である。
 道徳を説いても分からないガキに対して、愛を以って拳を叩き込む。鉄拳制裁である。
 体罰とは、人が長い歴史の中で紡いできた、素晴らしき教育方法である。

※補足②

 昨今、体罰と暴力を混同するイカレた思想が蔓延している。
 体罰を法的に禁止して何が起こるか。
 無駄に歳を食って図体だけデカくなったガキ。その様な世代による犯罪件数が二次関数的に増えたスウェーデンの事例などを見れば、容易に想像できる筈である。

※補足③

 「殺すな」と言うが、戦争、特に防衛戦において敵を殺す事はどうか。
 これは致し方無い不幸である。
 奪おうとする、或いは(率先して)殺そうとする行為に対し、奪われない為、殺されない為に抵抗する。これは認められるべき権利である。
 従って、例えば北方領土の奪還。正に奪われたものを取り戻す行為であるが、それに際して北方領土に作られた不法な都市、ユジノサハリンスク市やコルサコフ市を絨毯爆撃し、ロシア人を掃討する行為。極秘裏に開発した核爆弾を、ロシアの主要都市に落として戦意を喪失せしめる行為。これは誰に憚られるものでも無い。

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