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組織に属する者は“インパール作戦”という歴史を学ぶ必要があると考えるワケ

太平洋戦争史上最悪の作戦と名高いインパール作戦をご存じだろうか?

既に、戦争を経験した世代の大部分がその生涯を全うし、生の声として日本が絡んだ戦争の悲惨さを伝えることが途絶えつつある昨今。

組織に属するゆとり世代前後の我々は、改めてこの歴史を知っておくべきではないかと思う。

なぜか?

それは、現代復刻版インパール作戦の撲滅に他ならない。

インパール作戦とは、太平洋戦争中の1944年3月8日、日本軍がビルマ(現ミャンマー)の防衛などのため、インド北東部の英印軍拠点インパールの攻略をめざして始めた作戦であり、日本戦史上、最悪の作戦として知られている。

何が“最悪”だったのか?を書く前に、ハッキリさせておきたいのだが、戦争は理由を問わずクソである。

どんな大儀も理由もそれを肯定する材料にはならない、戦争とは人類の犯す過ちだ。

今現在も世界各地で争いは続いているが、一日でも早く収束してほしいと心から願っています。

インパール作戦の無謀さ


太平洋戦争で“最も無謀”といわれたインパール作戦。インパール作戦そのものでも多くの犠牲者が出ているのだが、インパール作戦のあとに、それをはるかに上回る犠牲者が出ている。

詳細を書いてしまうと膨大な文量になるのでこの記事では下記URLを参考にしたいと思う。以降引用していく。

まずインパール作戦の概要を簡潔にまとめると第二次世界大戦のビルマ戦線において、1944年3月に大日本帝国陸軍により開始、7月初旬まで継続された、イギリス領インド帝国北東部の都市であるインパール攻略を目指した作戦のことである。

指導部の物資補給や現実を無視した無謀な計画により、その作戦中及びビルマ侵攻後の日本将兵の死者が16万7000人に及んだ戦いである。

そして今、インパール作戦を経験した方々の言葉を見ると何とも言えない気持ちになる。

歩兵第56連隊 元二等兵 重松一さん(99)
「『大隊長どの、戦車が来とるとですよ。どうしますか』って聞いたら、『なら下がれ!』と言って。でも、その本人がどんどん逃げながら『下がれ』です。敵から見つけられんように逃げる一方です。日本軍が小銃で一発撃ったって、そんなものも何も役に立たない。日本の大和魂なんて、そんなものは、一切ありません」

https://www3.nhk.or.jp/news/special/senseki/article_163.html

こちらに対して、当時この戦いを指揮した、ビルマ方面軍の田中新一参謀長は回顧録の中で軍上層部の独断で敗北したインパール作戦の失敗の原因を「軟弱統帥にある」と分析していた。

「徒(いたずら)に消極防守に沈滞することなく、機会を捕らえて積極攻撃によって解決すべき努力が、是非必要であると思う」

緬甸方面軍参謀長回想録より

本当にそうなのか?の実態は分かりませんが、恐らくこの分析は的外れの根性論なのだろう。

もう一人、この戦争の経験者の声を掲載したいと思う。

歩兵第58連隊 元曹長 佐藤哲雄さん(102)
「日本人の兵隊同士で泥棒がはやったの。『お前もう死ぬんだから』というわけで、死にそうになっている人のものを取ってしまう。戦争というよりも自分の身を守るということが、第一にその当時はあった」

https://www3.nhk.or.jp/news/special/senseki/article_163.html

この戦いの残酷さと悲惨さが伝わってくる重い言葉だ。

中間管理職の失望


実は、このインパール作戦とその後のクソさは作戦のアウトラインだけでなく、国や軍、上層部への失望が、現代組織の中でも見られるような生々しさで残っている事実だ。

無謀な作戦の下、過酷な環境で命を懸けて戦いを続けている兵士は、この状況の中で目にする上層部の私利私欲に溢れる振る舞いに失望していく。

例えばインパール作戦後、日本が制圧していた首都ラングーンに、ある高級料亭があった。
※ここで言う料亭とは芸者さん遊びをする所(現代で例えれば飛田新地や吉原)

ボロボロになって帰還してきた兵士はその料亭の灯りをみて、以下のような言葉を残している。

「前線から菊部隊の兵隊さんが帰ってきました。みんなボロボロになった軍服を着ていました。ところが夜でも光々(こうこう)とあかりがついている萃香園の騒ぎぶりを見て、その中のお一人が『軍はええかげんなとこよ。作戦を練りながら女を抱いている』と、涙を流して怒っていました」

萃香園関係者板前の回想録より

また当時の少尉の言葉も紹介しよう。

「軍人の世界には、誠のみが支配すると信じていたが、正義以外のものがまかり通っていた。特に軍紀の頽廃(たいはい)にいたっては、欲望の醜悪さのみをさらけ出していた

若井元少尉 回想録より

国を信じ、軍を信じ、日本に家族を残し、命を懸けて戦地に赴く兵士の気持ちを考えずにはいられない。相当な無念や失望が伝わってくる。

そして極めつけはこれだ。上層部数人が突如、陥落の危機が迫ったラングーンから飛行機でタイ国境付近に撤退した。

現地部隊や民間人は『ラングーンを死守すべし』と命令を下されたまま置き去りにされている。

自身の間違いを認めず無謀な作戦を強行し、立場を利用し、私腹を肥やし、状況が悪くなれば部下を捨て、一番最初に安全な場所へ移動するその様子は、残酷以外の言葉で表現が難しい。

人命やその家族の人生をなんだと思っているのか。

こんなクソみたいな国や組織や上官に忠誠を誓い、命を懸ける価値がどれほどあるのか。

我々はしっかりと考えるべき歴史だと思う。

現代の組織人がここから何を学べるか


戦争と平時では比べ物にならないが、これらの歴史から我々が学ぶことは多いはずだ。

パラディソ含めゆとり世代はもうアラフォーである。サラリーマンであれば管理職に付いている人もいるだろうし、組織の上層部に属している人もいるだろう。

これまでの記録をみて、程度の差はあれ、現代社会の中に似たような無念や絶望を覚えた読者はいないだろうか?

また、似たような感情を部下や社員に感じさせてはいないだろうか?

現実を無視した無謀な作戦や指示。

補給や後方支援無しで成果を求められる環境。

自分たちだけで甘い汁を吸い、社会保障負担や税負担などの国民負担が増えていくような政治の意思決定に憤慨している人もきっと多いと推測する。

人間の本質は今も昔も劇的に変わっていないはずなので、この平和な日本においても、そこかしこで絶望が生み出されていると思う。

そこで、自分に出来ることは何か?と考えてみても、凡人に出来ることなんてそう多くはない。

「自分の身は自分で守る」ことと併せ、「自分がされて嫌なことは人にしてはいけない」という子供でも分かるようなことしかできないのである。

しかし、それだけだとしても、出来ることはある。

ぜひ、自分に出来ることからやってほしいと思う。

国や他人に利用され、捨てられるような憂き目に逢いながら、それを甘んじて受け入れる必要もないし、誰かを利用し傷付けるべきではない。

5日後に迫った終戦記念日を前に、現代復刻版インパール作戦が一つでもこの世から消えてなくなることを願い、この記事を書きました。


おしまい




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