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俵万智さんの一首一会

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【俵万智の一首一会 14】戻れない時間を生きる

【俵万智の一首一会 14】戻れない時間を生きる

われというひっくり返せぬ砂時計きょうはピンクのセーターを着る 清水あかね

 清水あかねさんとの出会いは、三十数年前。お茶の水女子大学の教授が、学生たちに短歌の話をしてほしいと声をかけてくれた。『サラダ記念日』を出版する前のことで、妹のような女子学生たちに語りかけ、興味があるなら一緒に勉強しましょうと誘った。そうして、二人の学生が、私の所属する「心の花」に入会して作歌を続けることになった。一人は安

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【俵万智の一首一会 13】苅谷君代の奇蹟と軌跡

【俵万智の一首一会 13】苅谷君代の奇蹟と軌跡

さみどりの風が無色となるまでに道の段差を覚えおくなり 苅谷君代

 短歌を作りはじめたころ『処女歌集の風景』というアンソロジーを手にしたのが、歌人苅谷君代との出会いだった。彼女の第一歌集『雲は未来の形して』が紹介されていた。

軒下の巣に乗り出して五羽の雛・飛び立たなけりゃ燕にならぬ

ひまわりに口づけしていた黄揚羽が飛び去るわたしの十六歳も

一日を終えまたすぐに明日がくるカレンダーには苦しみが

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【俵万智の一首一会 12】がんサバイバーたちの歌集

【俵万智の一首一会 12】がんサバイバーたちの歌集

黒い雲と白い雲との境目にグレーではない光が見える 

 掲出歌が、そのまま歌集のタイトルになっている。収録されている短歌の作者は、26人のがんサバイバーだ。

 雨や嵐を呼ぶ黒い雲。晴れた空に浮かぶ白い雲。一般的には黒色と白色の境目は、グレーということになる。でも空を見上げれば、雲と雲とのあいだから光が見えることがある。その光景と人生の局面とが重ね合わされた。いいことと悪いことの間にあるのは、中ぐ

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【俵万智の一首一会⑩】届けこの歌

【俵万智の一首一会⑩】届けこの歌

屋上でパピコを食べた思い出よまた会う時の目印となれ 笹本碧(ささもとみどり)

 パピコはチューブ型の容器に入ったアイス。二本が繋がってセットになっていて、誰かと分け合って食べるのが前提だ。

 さりげない下の句だが、よく読むと、ちょっと不思議。すべての思い出を俯瞰したとき、二人がその屋上の時間を、互いの目印のように感じる……つまり「あなたにとっても、大事な思い出でありますように!」という気持ちだ

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【俵万智の一首一会⑨】稀代のエンターティナー

【俵万智の一首一会⑨】稀代のエンターティナー

落ちてくる黒板消しを宙に止め3年C組念力先生   笹公人

 笹公人は、第一歌集『念力家族』から一貫して、読者ファーストの歌人だ。もちろん大抵の歌人は、歌集を出す時には読者を意識するし、推敲には読者の目で見ることが大事だと言われたりもする。ただ、この人は、そういうレベルではない。読者をいかに楽しませるか。そこに賭け、結果「楽しませた自分」に、ようやく安堵している感じがする。

 短歌は一人称の文学

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【俵万智の一首一会⑧】ホスト万葉集から

【俵万智の一首一会⑧】ホスト万葉集から

「ごめんね」と泣かせて俺は何様だ誰の一位に俺はなるんだ  手塚マキ

 二年ほど前から、一風変わった歌会に参加している。会場は、開店準備中のホストクラブ。そこに出勤前のホストたちが、思い思いの姿で現れる。歌人の参加者は、小佐野彈(だん)、野口あや子、私の三人。短歌の題を出したり、講評をしたりする。ホストの詠んだ歌を無記名で掲示し、気に入った歌に参加者が投票。集計後に感想を言い合うというスタイルだ。

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【俵万智の一首一会⑦】近江瞬との出会い

【俵万智の一首一会⑦】近江瞬との出会い

何度でも夏は眩しい僕たちのすべてが書き出しの一行目 近江瞬

 初夏の風のように届いた一冊の歌集『飛び散れ、水たち』。その巻頭歌に、心を奪われた。まっさらな目で世界を受けとめ、丁寧に日々の物語を紡いでゆく。この歌のような気持ちを、自分も大事にしたいな、と思った。

 日常は繰り返しのつみかさね。その中で新鮮さは失われ、当たり前のことになってゆく。次に新鮮さを感じるのは、残念ながらそれが失われる時で

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【俵万智の一首一会⑪】果てなき最後の恋

【俵万智の一首一会⑪】果てなき最後の恋

ただ白き光となりてわがあらむ 君のすべてを抱(いだ)かんがため 池田理代子

『ベルサイユのばら』などで知られる漫画家、池田理代子。四十七歳のとき音楽大学に入学し、その後はソプラノ歌手として舞台にも立つ。七十代を迎え、挑戦に年齢など関係ないとばかり、このほど第一歌集『寂しき骨』(集英社)が出版された。章ごとに、人生の詞書とも言うべきエッセイが寄り添い、短歌の味わいを深めている。

 戦争から生還し

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【俵万智の一首一会⑥】時間の旅、穂村流の挽歌

【俵万智の一首一会⑥】時間の旅、穂村流の挽歌

今日からは上げっぱなしでかまわない便座が降りている夜のなか 穂村弘

 一昨年出版された『水中翼船炎上中』は、実に十七年ぶりの歌集だった。歌集というのは、あいだが開けば開くほど、出しにくくなる。素材やテーマが多岐にわたるし、過去の作品への自分自身の目が厳しくなるし、歌の取捨選択も難しい。けれどこの歌集は、難しさを逆手にとって、たっぷりの作品があるからこその編集の妙味を見せてくれた。読者は「時間」の

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【俵万智の一首一会⑤】沖縄への理不尽

【俵万智の一首一会⑤】沖縄への理不尽

 椅子とりゲーム何度やっても一人だけ残され続けている沖縄 松村由利子

 若山牧水賞が決まった第五歌集『光のアラベスク』の一首。松村由利子は沖縄の石垣島に移住して十年になる。本来なら、沖縄だって椅子に座る権利があるし、他の都道府県が座れないこともあるはずだ。それなのに。「残され続け/ている沖縄」という句またがりが「ている」を強調し、不合理な継続のニュアンスを絶妙に伝えている。

 歌集では次の一首

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【俵万智の一首一会④】定綱、そうきたか!

【俵万智の一首一会④】定綱、そうきたか!

一匹のナメクジが紙の政治家を泣き顔に変えてゆくを見ており 佐佐木定綱

 妙なザラつきが残る読後感だ。これが佐佐木定綱の持ち味の一つである。一般的には嫌われがちなナメクジという生き物。その主役の存在感に比して「紙の政治家」という表現には、薄っぺらなニュアンスが漂う。会ったこともない(のにたぶん笑顔で何かを訴えかけている)政治家などより、今目の前を這ってゆくナメクジと、ナメクジが作り出す軌跡にこそ作

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【俵万智の一首一会③】非正規の翼

【俵万智の一首一会③】非正規の翼

 牛丼屋頑張っているきみがいてきみの頑張り時給以上だ 萩原慎一郎

 優しい男だな、と思う。牛丼屋といえば、時間の余裕も、お金の余裕もあまりない時に行くところ。そこで、アルバイト店員の頑張りを、ちゃんと見て肯定している。

 萩原慎一郎は、非正規雇用である自分についても多くの歌を詠んだ。それが社会への恨みつらみや他者への攻撃になるのではなく、弱者に寄り添うまなざしへと育ったところに、彼の人間性の深

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【俵万智の一首一会②】相手の覚悟問う全体重をかけた恋

【俵万智の一首一会②】相手の覚悟問う全体重をかけた恋

たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか   河野裕子

 小佐野彈さんと、雑談をしていた。彼は第一歌集『メタリック』で現代歌人協会賞を受賞したばかり。「唯一悔やまれるのは、もっと早く受賞していたら河野裕子さんに会えたかもっていうこと」と言う。それを聞いて、自分が角川短歌賞を受賞した時のことを思い出した。吉報を聞き急きょ宴を開いてくれた先輩が「お祝いに、誰でもいいから一人、

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【俵万智の一首一会①】耳を傾けるべきは心を流れる音楽

【俵万智の一首一会①】耳を傾けるべきは心を流れる音楽

なめらかな肌だったっけ若草の妻ときめてたかもしれぬ掌(て)は 佐佐木幸綱

歌集『群黎』を読み返していて、この一首のところで手が止まった。ただ懐かしいだけではない。自分の歌の原点を見つけたような気がした。

 「だったっけ」という口語の会話体は、自分がトレードマークのように活用してきたもの。いっぽうで「若草の」(妻を導く枕詞)というような古風な言葉の響きも

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