笑うしかない

時々思う。
もう、笑うしかないって。

笑わないとやってられないって。

でも、口角すらあがらなくなることがある。

誰が、どうの、と言う訳ではなく
自分に悲しくなることばかり。


泣きたくなることも多い。

でも、そんな私の数少ない特技は

・自分がムリで、どうしようもなくなったとき、笑ってネタにすること、開き直って自虐ネタにすること。

・(軽度であれば)理不尽なことを心の中で悪態ついて、ネタ話にして親しい人笑い飛ばすこと。

何とか笑いに変えることで、
私は、折れた私の心を少し戻して、
理不尽から身を守る。

これも、生きるための術なんだよね。

今回は自閉症スペクトラム障害(ASD)などの障害や病気の特性・症状について話すことが多いので、その部分の私を見た視点が多いです。

色んな要素がある私の中の、
障害特性や病気の症状がメインに成ります。


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毎日、何かしらやることを忘れたり、
忘れ物をする、私。

異様に不器用で、ハサミとセロテープは
ロクに使えない。まっすぐ切るのも、
まっすぐ貼るのも難しい。眼と手の協応が難しい…

封筒に宛名を書く時、
書く場所のバランスを整えるのも一苦労。
(よくあるのが、住所が長くて、書ききれないから改行したら、バランスが悪くなる、とか、苗字と名前の文字の大きさが違う、とか。ごめんなさい…)

米研ぎは、殆どこぼさなかったら、それは奇跡。水を捨てる時に、計量カップとかで受けてもだ。
なんなら、計量カップで受けようとしても、ザーっとシンクに流れ落ちることも。
お米の神様ごめんね。

情報を見ながら文字を写す、又は聞きながらそこから得た情報を書く時、

見るのか、書くのか。
聞くのか、書くのか。

どちらかがいい、正直。

圧倒的、聴覚優位(※)人間だから、
見ただけで覚えて書くのは至難の業ですが…

(※)聴覚的な情報処理を得意とすることを聴覚優位と言います。
一般的には、発達障害の方は、視覚的情報処理、聴覚的情報処理のどちらかが得意で、もう片方はあまり得意ではない、と偏りがある場合も多いです。

私は聴覚的な情報処理の方が得意です。
視覚的情報処理が極端に苦手なので、圧倒的に聴覚情報処理に頼りがちになっていますね…😅

私は書くことが苦手なので、見ながら、書くというのは、苦手と苦手のコンビネーションなんですよ…😅😅😅

発達性協調運動障害(DCD)っぽい部分もあるので、もはやかなり辛いかも…

聞きながらでも、処理速度がめちゃくちゃ遅いから、重要事項をかい摘んで書いて(殆どメモ書きのレベル)、自分なりの文章でまとめるならいいけど、
全部書き写しは厳しいかな…(どこかが抜け落ちる)

不安で衝動性が強いと、歩くスピードすらコントロールが難しい。

予定変更や先が予測出来ないと不安が強くなる。

普通という抽象的だけど、一番求められることから、外れた行動を取っていないか、
あまり知らない人たちの前で考えることの
大部分はこれだったりする。


はあああ…
なんなんだ、私は。

きちんとやりたくない訳ではないし、
出来ることは人に頼らず自分でやりたい。

でも、嫌になる。

自分が。


圧倒的に周りと違う自分が。


それでも、そんな私と生きるしかない。

だから、

自分の中で笑ってやる、

開き直ってやる。

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「発達障害って、かっこよく言えばさ、
『先天性の脳の機能障害』なんだ!」って。

「あなたが好き好んでやっとる訳じゃないやん?」って。

「迷惑をかけたと思った瞬間に謝るしかない。謝罪の言葉もだけど、その後どうやって、改善していくかが大事なのよ。
自責しても、反省出来なくて同じこと繰り返すやん。まず、謝る。落ち着いてものを考えられるまでになったら、次どうしていくかを考える。同じ失敗を繰り返すことは正直、大人も子どもも誰にでもあるから、100%完璧は無理だけど、なるべく同じ失敗を繰り返さないような対策を考える。出来ればその日中に何らかの形で、もう一度謝罪して、対策していくことを具体的に伝える。それやったら、もう、ええよ。ご飯食べて、風呂入って、寝ろ。自責は反省と違うからしなくてええよ」って。

「できない事は違うやり方でやればいい。
一人でいる時は、力抜いていいに決まっとるやんけ。人並みにハサミ使えるように自主練習とかしないとって思ったらさ、
倒れるで?、まじでさw」って。

「お米盛大にこぼした〜、お米の神様ごめんなさい〜。次はしないように…と100(%)は言えませんー🤣🤣🤣 私なので(笑)」って。

「え、普通に出来るじゃん?」(周りの同年代とかから)
「ま?『出来ないよ?この後息切れやばいよ私』、『出来るじゃん』のプレッシャー高いわ…次、出来なくなったらごめんよ🙇‍♀️、てか普通って何ー?誰か教えてくれー!!(ガチの心の声)」って。

「衝動性強いやん?なんとか迷惑かけんようにはしようとしとるやん?対処は色々しててさ。それを置いといて?衝動性強くなってからどんどん痩せるやん?やばくね?ダイエットと違うから🤣🤣🤣
消費エネルギー帰ってこーい!😇」って。

笑って、開き直るしかない。

自分の特性には。

((※)理不尽なことに関しては事例も対処も身バレ防止のため、割愛させていただきます。)

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生涯、付き合っていくであろう、
『障害特性』という要素。

情緒面、コミュニケーション面に関しては、
感情の調節であったり、その場に応じて伝わりやすい伝え方で話せるように、肩の力を抜いて話せる人を増やしたり、ストレスなく話せる方法を見つけたり、ということが必要になっていきます。相手と必要なことを話し、協働するためにも、自分の生活を楽にスムーズに送るためにも。

でも、機能的な面(感覚による情報処理の偏りや、手先の動かしづらさなど)は大部分は、「仕方ないべさ」にします。

障害は治せない。けど、変えることは出来る。

ただ、「変えることは出来る」が多すぎるから、生活していく上で、必要なことを優先的に。代替対処ができる物は、それでもいいと思います。

他者に代替手段を使うことをお願いするときは、勿論丁寧に。

人と共に生きる中で、当たり前だと押し付けないことは何より大切。

でも、自分の中でなら全然オッケーだと私は思います。

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最後に

「障害は治せない。けど、変えることが出来ることもある。反対に変えることが難しいこともある。全てを変えられなくてもいいと私は思う。」

「『普通に出来るじゃん。』それは、
普通っぽく振る舞うために肩に力をがっちり入れて普通を演じようとしてるだけです。これは、実際に感じていない人にはわかりにくいことであるのは、重々承知の上です。
でも、『普通に出来るじゃん』は辛いです。プレッシャー大です。「『普通』に出来なくなること」が怖くて、
笑うことすら難しくなるんです。」

「障害があることだけが、辛さじゃないよ。世の中、障害以外のことで辛くて悩んでる人は沢山いる。あなた(私)も知ってるでしょ?不幸比べも幸せ比べもしなくていい。
あの人も辛い。別のことであなた(私)も辛い。あなた(私)は目の前の相手について出会ってからのことしか知らない。別れた後のことも知ることは出来ないんだよ。
その人の人生はその瞬間だけじゃない。その瞬間は幸せそうに見えても、前も後も実際の状況を見ることは出来ないんだからさ。僻んでも、あなた(私)が苦しいよ」

悩んだ時に自分に伝えることです。特に3つめの文章は何度も伝えています。
卑屈な思いを持つことはあるし、そのおもいを感じること自体を阻止するのはやめているけど。
でも、卑屈な自分に飲み込まれないように。飲み込まれて、息ができなくなったらもっと苦しいから。

上2つの文章は、
自閉症スペクトラム障害(ASD)一当事者の気持ちとして、誰か何かのお役に立てたら嬉しいです。(言葉が難しいてすね…)

多分、今日寝るまでに後、5、6回は何かしら失敗する。

小さな失敗は笑い飛ばす。

それが、これからを少しでも笑って過ごすために今わたしができること。

事前準備っすよー!


最後まで読んでいただき、ありがとうございました☺🙌


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