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詩人・向井久夫、逝く

詩人・向井久夫。

2023年10月8日(日)夜、息を引き取った。


僕はその場に居合わすことができなかったが、眠るような、安らかな最期だったという。

長い闘病生活。約1ヶ月前からの最後の入院期間中は少しずつ死に近づく様に立ち会わせてもらった。

代わる代わるスウィングから面会に行って。


5日水曜日にQちゃんと一緒に面会に行った時にはもう相当苦しそうで傍にいるのも辛かった。

それでも古い知人からのお見舞い(ハーブティーとドライフラワーがパッケージされたもの)を手渡すと、「これ(ドライフラワー)はこのまま食べられるんか?」とゼイゼイしながら言ったのには笑ってしまった。あれがボケだったのか素だったのか未だに分からない。


分からない人だった。


ユーモラスな毒舌家で皮肉屋で、かと思えばとんでもなくピュアな詩を書いたりする。

飄々として自由奔放。いつスウィングに来るのか誰にも分からず、「おはようさん。ほな帰るわ」なんて滞在10分で消えてしまうこともざらにあった。


でもその自由さは、まったく脳天気なものではなかった。

深い孤独と終わりのない煩悶と裏表の、物悲しい自由だった。


詩のような手紙のような叫びのような「僕を支えてほしい」という言葉を何度も受け取った(面と向かっては絶対に言わない人だった)。上手くは支えられなかったが「もっと人を頼っていいんです」とひたすら繰り返し伝えた。向井さんの答えはいつも「頼ってええの?」だった。少し驚いたような表情を浮かべながら。


3年ほど前だったか近しい人を立て続けに亡くされた時にはよく電話をかけてきてくれた。

そして今回の入院中も何度も何度も。頼ってくれたのだと思う。


今日の葬儀は家族葬だったが「スウィングの方ならぜひ」と、あやちゃんと増田さんとQちゃんと4人で参列させてもらった。

昨晩の通夜には西川君と沼田君。皆、長い長い付き合いだ。

遺影には僕が撮った写真を使ってもらった。光栄だった。11年前の、珍しく眼光鋭い文豪のような雰囲気の向井さん。


遺体の口をビールで湿らせている時、棺の蓋が閉じられる時、斎場で焼かれて小さな骨壺に収まってしまった時、向井さんならどういう詩を書くだろうか、オモロい詩を書くんだろうなあと想像した。

そんな詩はもう生まれようがないのに、思い浮かべるだけで泣きながら笑えた。


苦難の人生を歩んだ人であり、ペーソスに溢れた偉大な詩人だった。


五十を過ぎてスウィングと出会い、本来持っていた表現する力が発掘され、「はじめて自分に自信がついたようだった」と、斎場での待ち時間にご家族がしみじみと語ってくれた。

シャイな向井さんの本当は、いつも詩の中にあったように思う。

入院中、ご家族には「スウィングに行く」とずっと繰り返していたそうだ。

立てないのに。歩けないのに。展覧会、見たかったんだろうなあ。

でも映像を届けられてよかった。あまりにも急なお願いに応じてくれた片山君には感謝しかない。

向井さん自身の朗読もやはり入れて良かった。


訃報を受けた時、がっくり体の力も気も抜けてしまったが、向井さんが愛してやまなかったお寺、安楽寺の住職、伊藤光順さんの言葉に救われた。


かっこいい人生でしたね!

生きている我々でこれからも向井さんの作品を広めていきましょう!


本当にそうだ。

本当にカッコいい人で、カッコいい人生だった。


「詩人・向井久夫」展はまだ続く(終了未定)。

ぜひ彼がこの世に遺した言葉の数々を見に来て欲しい。


向井さん。

あくせく生き続ける僕たちを、空から悠々ながめていてね。

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