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"JAZZ IS" ナットヘントフ レビュー

ジャズにまつわる本を読んだりしているとよく目にする名前の一つが #ナットヘントフ (1925~2017)。ジャズ批評の第一人者とされる氏は実際ジャズミュージシャンを目指してもいた人。なのでモダンジャズ黎明期から全盛期の現場を身体的に知っている人。その、ミュージシャンを目指していた若い頃の話は小説「ジャズ・カントリー」の形で発表されている。

そんなナットヘントフのジャズ批評本の代表作がこれ"JAZZ IS"とされる。それこそ #村上春樹 も推していたので知っている人も多いかもしれない。そんな"JAZZ IS"を俺なりにレビューしておこう。

"JAZZ IS"ナットヘントフ著(1976/1982翻訳)

"JAZZ IS"
ナットヘントフ著(1976発表/1982翻訳)

「ジャズとは一体なんなのか?」
「いいジャズとそうじゃないジャズの違いは?」
「レジェンドな評価こそされていないが歴史を変えたジャズマンもいるのだ」

そんな自問自答しながらも、多くのミュージシャンのインタビューや記事を元に、「ジャズとは何か?」を炙り出そうとしている本だった。村上春樹曰く、「ジャズ愛に溢れている本」。デュークエリントンやビリーホリデイ、マイルスやコルトレーンなど錚々たるレジェンドと接して聞き出した言葉が満載で、その熱量自体が「当時のジャズの面白さ」を物語っていた。

「当時の〜」と記したが、それはもう致し方ないだろう。ブルースであれ、ロックであれ、ヒップホップですらも"〜IS DEAD"と称されては否定され、を繰り返している訳だが、議題にあがる時点で少なくとも「旬である」ことは終了しているのは事実だ。コンビニエントに棚に置かれているジャンルの一つ、時折タピオカのように「旬とされる」ことはあっても、数ヶ月からよくて数年消費されて終わる「商品」であることには間違いない。つまり「話題」にこそなっても、ビジネス的に成功しても、時代を変えることは出来ないのだ。

それは音楽に限らない。あらゆる学問にも当てはまるようで、 #ジョンホーガン 著『科学の終焉』に記されている。科学、それが物理学であれ宇宙科学であれ哲学であれ「進歩」を軸にしている限りにおいて、終焉が約束されてしまっているのだ。言い換えるならば、資本主義的な世界観の限界を表している。それまでの定常社会な「エネルギーの全体量が一定である」前提の社会のあり方から、「エネルギーはどんどん増やしていけるものだ」という社会のあり方に変わってはや200年。産業革命から200年だからね。ポピュラー音楽〜ラジオ・レコード誕生からも100年。進歩史観は進歩途上は楽しいが、ある程度以上までいくと限界が見えてくるもの。我々自身の人生に当てはめるとよりわかりやすいだろう。個人差はあるだろうがざっくり言うと、エネルギーが増大していくようにしか思えない幼少期〜20代、安定成長期な30-50代、そして老年期は過去を振り返るような生活になりがちで。。。それに当てはめるとまさに現在は社会自体が老年期なんだろう。共有できるような明確な目標を見失ってしまっている時代。分離分断になりがちなのはそういう理由なんだろう。

 でもふと思う。「個人の偉業が世界を変える」ってそんな大事なことなんだろうか?それを美談とする時点で、「人類は皆同じ価値観であるべき」かのような、ある種の世界観の押し売りが秘められていないだろうか?

 話が大きくなってしまった。話をこの本に戻そう。この、76年に原著が出版されたこの書籍の中も、大抵が60年代までの「昔話」で、いかにあの頃の「現場」「ジャムセッション」がすごかったか、そこで起きた奇跡の話だ。訳者後書きにも記されているが、70年代の時点で著者ナットヘントフのコラムの内容が徐々にジャズでは無くなってしまっていたそうだ。

 でも、でも俺は悲観的にそれを捉えない。悲観的な部分を受け入れるとしたら、その「ジャズ」が世界を変えることは無理だろうなという点だけだ。それはマイルスの衝撃、プリンスの衝撃、ATCQの衝撃、、、枚挙にいとまがない衝撃史には敵わないと言うだけで、言い換えればビジネスにおいてのパラダイムシフトにはならないと言うだけ。奇跡の「音楽体験」、そこにしかない奇跡の「生(ライブ)音楽」は今日もいろんな場所のいろんな時間に現れているはず、それも定常的に。その奇跡がビジネスになりにくくなっただけで、奇跡の存在否定ではないことを俺は言っておきたい。

 その中のずぬけたものをキャッチ出来るかどうか?と言う聞き手としての感性を磨くためにはこのような回顧的な本は有効だ。それは昨夜の俺主催のセッションで起きた数多の奇跡を振り返っても思う。昨日のあの時間はすごかった。もちろん歴史を変えるものではないだろうけれど。でも間違いなく人と人が織りなす音の奇跡ではあった。そう言う意味において、昨夜のセッションも「JAZZ」であり「音楽」だったと自負する。

 JAZZとは何か、音楽とは何か、巻末に記されているいくつかの言葉を列記しておこう

「音楽ってのは、きみの経験だ、きみの思想だ、きみの知恵だ」 
by #チャーリーパーカー (サックス)

「この音楽は黒人から出発したと僕はいつも感じていたけれど、
今は他のみんなのものであり、僕のものでもある」
by #ジムホール (ギタリスト)

「ジャズの力の一部は、その即発性、その直接性にある」

コルトレーンの音楽について
「革ひもで縛り上げられた男が"自由にしてくれ"と最後の悲鳴をあげているようなサウンド」
by ナットヘントフ

「ジャズはどこへ行く?どこに行かせるわけも行かないよ。ハプニングあるのみ」
by  #セロニアスモンク   (ピアニスト)

「僕がやろうとしてるのは、これが自分であるという真実を演奏すること。
それが難しいのは、僕がいつも変化しているからだ」
by #チャールズミンガス (ベーシスト)

そう、こうした言葉に溢れているから、何かについて往年の全盛期について記された本は面白いのだ。ある種の哲学書として読める、だから面白いのだ。そんな言葉に刺激され、俺は今日もピアノを弾く、編曲をする、作曲をする、それが直接的にクライアントに、ジャーナリストに伝わらなくても良い。半世紀以上前の人たちと何かを共有する、しようとすることはまず第一に、俺の精神衛生上の安定剤になる。生きていく指標となるのだ。だからこの手の本を定期的に読みたくなるのだ。

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