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人生でいちばん楽しかった日々を終えて

よくこの状況でnote更新してるなっていうくらい、切羽詰まっています。

基本情報技術者の勉強もしてないし、3月1日に会社からUdemyのURLが送り付けられてきて見ろと言われたマナー講座は開始2秒で腹が立って見ていない。明日引越しだというのに、荷造りはほとんど進んでいなくて、昨日とりあえず服だけスーツケースに突っ込んだくらい。どうしよう、持っていく本の厳選も、下着類の発掘もあるのに。

私、片付けが苦手なんです。真面目、しっかりしている、と言われがちで、さぞ部屋もきれいだろう、と思われがちでいつもそう言われるのですが、全然ダメで。物を捨てようと思っても、誰がいつくらいにどんなときに買ってくれたものかとか思い出しちゃって物に思い入れを持ってしまって捨てられない。別に散らかっていても、誰がくるわけでもないので、人生の優先順位の最下位にずっと位置付けられたままなんです。

だから今回、一人暮らしで生まれ変わろうって思ってるんですよ。もうインスタで自慢できるくらい(載せないけど)きれいな、でも完璧すぎない部屋にしようと意気込んでいます。一度出したものは必ず元の場所に戻す。紙類はきちんとファイリングする。本はきちんと立てる。

引越し業者に頼まずに、スーツケース2つとリュックに入るだけの必要なものだけを持っていって、少々無くても困らないものは後で実家から送ってもらうんです。必要なものが見えたら、不要なものも見えてくるはずだから、荷造りで実家の片付けもできるでしょう、一石二鳥!私完璧!って思ってたのに

昨日の17:00時点で荷造り進捗ゼロですよ、ゼロ。
ウィーンから帰ってきたら、時差ボケで寝るのも起きるのも遅くなって、やる気出なくて(言い訳)。撮り溜めてたテレビもあったし(自業自得)、最後に会おうって言ってくれる友人たちもいて彼女らと会ってたら時間もなくて(言い訳)。卒業式もあったしで、昨日はその余韻に浸ってじんわりしてたらいつの間にか夕方になってて…haha。

最終面接のとき、「それだけご活躍されていてもう非の打ち所ない感じですけど、苦手なこととかありますか?」とかお世辞混じりに質問されて、「いやいや、どうしようもないくらい手先が不器用なんですよ。絵も書けないし、小6の時に作ったさしこのブックカバーを見た両親が『…あんただけ雑巾作ったんか?』と真顔で言ったくらい、裁縫も壊滅的で…。」と言って爆笑を誘ったりなんかして、そのあとに「集中していると自分の思考しか見えなくなって周りの音とか聞こえなくなるので、無視してると勘違いされやすいです」なんてちょっとマジなものも付け加えたりもしたけど、忘れてた。私、片付け無理じゃん。いつもなんでもギリギリなのに、なんだかんだ締切とかに間に合うからそれっぽく見えてるけど、自己管理ゴミじゃん。

わかってます。3月上旬〜中旬にウィーンなんて行くべきじゃなかったことくらい。仕方ないじゃないですか、行きたかったんだから!(誰に言っている?)「社会人になったら」を枕詞にした発言に、いいことが続いたことなんてほとんどなくて、その1つが「海外なんて行く時間ない」なんだから、今しかできないことやっときたかったんです。もちろん、お金は消えたし、その分、新生活の余裕は減ったと思うけど、

でも、こんな状況でも後悔ないんですよ、まったく。これで正真正銘のアホと言われるのであれば喜んでアホになります。


noteでも何度も言っていますが、やっぱりやりたいことを思いっきりやったあとだと、やりたいことやったんだから仕方ないって、やるべきことに向き合えるものです。向き合ってないけど。逃げてるけど。でも最後、底力でどうにかできます。だって、ガソリンが満タンなんだから、あとはエンジンかけて走るだけでしょ?かかりさえすれば、すぐ最高速度・180km/hです(免許持ってないので間違ってたらすみません)。


***


つぶやきでも報告させていただきましたが、20日、無事大学の卒業式を迎えました。(ただのつぶやきにたくさんのスキとコメント、ありがとうございます( ;  ; )❤︎)


もっとしんみりしたテンションで書こうとしていた記事が下書きに残ってますし、大学を卒業したら大学生活のまとめ記事をもっとちゃんとしたもの公開しようと思っていたものがあったのですが、全然追いつかなくてですね。とりあえず今ここで、ぐちゃぐちゃなままでも書いておこうと思います。


「幼稚園、小、中、高、大、どれがいちばん楽しかった?」

ってこないだ妹の友達のお母さんから聞かれて私、「大学ですかね」って即答したんです。

最初の2年間、コロナで何もできなかったのに、サークルにも入らなかったし、バイトも思いっきりはできなかったのに、それでも私は大学時代が人生でいちばん楽しかった。

高校卒業のときは「圧倒的に高校が楽しかった!」って言っていて、当時のその言葉に嘘があったわけではない。たしかに楽しかった。だけど、どこかで(それまでの自分の人生を考えたらこのくらいが最高到達点か)って思ってしまってた。


だけど、大学時代は一点の曇りもなく楽しかった

自分が納得できる自分で、いろんな人と繋がって、仲良くなれた。大学の人間関係で嫌な思いをすることがなかった。それだけで、ほんとうにこの学校・学部・ゼミに入って良かった、生きてきて良かったって、生きていることに感謝した。


大学時代に出会った友人は、私のことを「友だち多いな!」「会う人会う人手振ってる気がする」と言う。実際は、特別多いわけではなくて、そういう時に一緒にいる友人とはちがうコミュニティの人の中にも友人がいるから多く見えるだけだと思う。だけど、卒業式の翌日、撮った写真を送り切るのに忙しかったことを思えば、そう形容されてもおかしくないくらいの関係は築いていたのかもしれない。

いずれにせよ、それはこれまでの自分では考えられないことだだった。



今まで認めたくなくて、誰にも言ってこなかったし、そのくらいの年の子はみんなそうだと言われればそうかもしれないけれど、幼稚園や小学校の頃の自分は自己中で目立ちたがり屋だった。どちらも自覚はなかったけれど、今思い返してみるとそう思われても仕方がない言動をとっていたなと思う。そして、自分と同じような言動を取っても許される人がいるのに自分は許してもらえなくて、どうして(私は許してもらえないんだろう)、と思っていた。無駄に記憶力がいいせいでそういうことをいちいち覚えているがために、そんな過去の自分のことを今でも許すことができない。

だけど中学で小学校の頃の自分を知る人がほとんどいない場所に身を置いて、水泳という自分に確固たる軸ができた。それで、ああ、今までの自分は軸がなくて自信がなかったから不安で、他人に求めることでしか自分を満たせなかったからああだったんだな、と思った。一気にモヤが晴れた気分で、不必要な自己中さを一気に手放すことができた。

それでも、当時親友だと思っていた子から「あなたがあなたとして生きているを見るだけで辛い」と完全に自分を否定されて、病んだ。私、変われたはずなのに、どうして?って、悩んで悩んで、人間不信でどんどん暗くなった。そして、私の良さであったはずの底抜けの明るさが発揮できなくなった。

社会に適合するためには、と思って自己を殺した3年間はつらかった。都合のいい時だけ擦り寄ってくる人間を友だちだと期待して、裏切られることが続いて、辛くて、苦しくて、楽しくなくて、中3の修学旅行で、心だけではなくて身体が悲鳴を上げた。

だから高校でもまた環境を変えた。自己中さが完全に消えて「やさしい」と言われるようになった。少しずつ明るさを取り戻して、親友ができて、生徒会とかもやって、毎日が楽しくなった。それでも、自分を信じられるようにはならなかったし、権力を持っている子に対してビクビクする癖も抜けなかった。高校でも、人間関係のトラブルはなくなってはくれなかったし、”許される人”との違いに悩み苦しんだ。



そんな人生を歩んできた。

「(私の名前)のこと、尊敬してるの」と、言ってもらえることもあるけれど、私はそんな立派な人間じゃない。そんな価値のある人間でもない。元は「嫌われたくない」という気持ちを原動力に自己を確立してきただけの小心者で、きっと綺麗な心なんて持っていない。「気遣いできる人やん」と言われることもあるけれど、気遣いなんてしていないし、できていない。他の人の気遣いを見て、それに気づいた時に「なんで気づかなかったんだろう」と今も毎日後悔してばかりだ。「賢い」と言われることもあるけれど、もしも賢いのなら、これまでこんなに苦労していないし、もっと気も効くだろう。

だけど、自分なりに過去の失敗やトラブルから学んで改善して、すぐは直せないから、直らない自分に絶望しながら矯正して、「こんな人になりたい」を実現するにはどうすればいいのかを考えて、生きてきた。


私は今でも、大学で出会った友人たちと仲良くできているのは、彼ら彼女らのやさしさのおかげだと思っている。彼らが仲良く「してくれている」と思っている。

それでも「類は友を呼ぶ」という言葉がある。


もしもその言葉がほんとうなのだとしたら、今こうして出会えたことに、仲良くできていることに、私の素を受け入れてくれていることに、感謝したくて仕方がない友人たちに恵まれたことが、偶然ではないのだとしたら。

私は彼ら彼女らの友人として相応しい人間力を持つ人に変われた、ということなのかな。もしそうだとしたら、ちょっとくらい自信を持ってもいいかな。



「みなさんのおかげです」「友人に恵まれて」
なんて言葉は、いい人に見せるためのきれいな言葉だと思っていた。ほんとうにそう思っているのなら、SNSでそんなこと言ってないで、自分の言葉で1人1人にメッセージを送ればいいじゃんと思っていた。いい友人に恵まれている、という自慢がおもしろくなくて、仕方なかった。


だけど、「友人に恵まれて」としか言いようがない状況に身を置いてみて、この年でやっと、ああ、あれってほんとなのかもしれない、って思えた。

LINEを知らない人とかもいて、3人とかじゃなくてほんとうに「みんな」に伝えたくて、そうするしかなくて、インスタに卒業式の写真を投稿をした。キャプションはそれなりに長文になったけれど、フォロワー100人のうち50人がいいねをくれた(別にいいねは何個でもいいんだけど)。

写真がある子にはちゃんとその子のためだけの言葉をLINEで送った。みんな、お返しで私に向けたメッセージを返してくれた。嬉しかった。


幸せだ。宝物だ。生きてきて、よかった。

あの頃の自分、めげずに生きてくれてありがとう。苦しくてもしんどくても、考えることをやめずにいてくれて、「こうなりたい」を目指すことを諦めずにいてくれて、ありがとう。


やっと、生きていける気がするよ。



***


ここまで1時間近くこのnoteを書いてきたけれど、もちろん荷造りも進んでいないですし、なにより私、ベッド買ってないんですよ。

ずっと考えてた すのこベッドが耐荷重90kgってわかって、改めて探し直してて。ニトリは最短10日後からっていうし、彼が来ることを考えても、私がひとりで寝ることを考えても落っこちたくないからセミダブルがいいんですけど、ただでさえ狭い 1K 8畳 の部屋が他の家具との兼ね合いで狭くなったら嫌だし、かといってシングルにしていざ配置してみてから「セミダブルでもいけるじゃん!」ってなってもショックだし。

不動産屋に聞いたんですよ、先週くらいに「壁の出っ張りとかウォークインクローゼットのサイズとかもわかる詳細な図面ないんですか」って。そしたら「図面はなくて、こちらが万が一傷つけたら(私)さんの責任になるので、こちらが測りに行くこともできません」って言われた。この惨状を両親に訴えたら「普通は図面ある」っていうし、友人に訴えたら「気になるサイズあったらいつでも測りに行くんで!って言ってくれたよ」っていうし。ねえ、これ絶対測りに行くのめんどくさがってるだけだよね?だって、やわらかいメジャーで測れば傷なんてつくわけないんだから。(イライラ)

あと、ソファとかローテーブルとかベッドとかの大型家具、日付は指定しろって言ってくるのに、時間は指定できないのなんなん?ほんで届けた時にいなかったらまたさらに届くまで遅れるって、新手の嫌がらせですか?いつ来るかもわからないものを受け取るためだけに一日中家に閉じこもってないといけないとか、イライラで病みそうなんですけど。(イライラ)

最近、新生活に対する不満が尽きることがなくて、「東京就職、入社前の嘆き(仮)」という下書きがあるくらいなんですけど、一度喋り始めたら止まらないので一旦ここまでにします(スゥーーー[深呼吸])



今のところ、家具はローテーブルしか来る予定ないっていう悲惨な状況なのですが、とりあえず荷造りしてきます…。






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