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"幸せ" の方が答えだよ。


「寝ちゃダメだ」と思いながらも遠のいていく意識のなかで、彼がカーオーディオの音量を下げていることに気がついた。

その約10分後、ふと起きて「寝ちゃってごめんね」と言うと、ずっと運転しっぱなしで自分の方がもっと疲れているだろうに、彼は「疲れたでしょう、寝てていいよ?リクライニング倒しな」と片手で私の頭を撫で、やわらかな声で言った。やはりカーオーディオの音量は小さくて、ほんとうに下げてくれてたんだな、と気づいて心があたたかくなった。



最近、もっと、ずっと前にnoteはじめておきたかったな、と思う。きっと、もう二度と経験することのないであろう片想いの気持ちとか、記しておきたかった。


香川旅行2日目の朝、宿を発ってしばらくして、空になったいろはすのペットボトルに詰めた宿の水と、前日に買ったお酒のうちまっさらの2本を置いてきたことに気がついた。「ごめんね」と謝ると「(私の名前)のせいじゃないじゃん。俺も忘れてたんだから謝らなくていいよ」と彼は言った。

そしてうどんを食べに行ったあと、岡山へ戻って地図にギリギリ表示されているような険しい山道を運転して、私が「行きたい」と言った王子が岳のカフェに連れて行ってくれた。

belk


そんな岡山-香川旅行が8月の、パリに行く前のことで、9月は彼がパリに来てくれて、10月は当選したサイコロ切符で広島へ行った。


広島で彼と一緒に布団に入った夜、ヘンテコで、嫌な夢を見た。


なぜだかわからないけれど、夢の中の彼は私が「(彼)に『消えろ』って言われた」とありもしないことを言いふらしていると聞いて、そんなこと言ってないのになんでこんなこと言うのか、そんなに被害者でいたいのか、もう無理だ、そんな奴とは一緒にいられない、別れる、と私を詰って出ていった。
私だってそんなこと言っていないのに、と泣きついても、一度閉まった家の扉は開いてくれなかった。

よく考えたらヘンテコなのに、ちゃんと頭は真っ白になって、顔は真っ青になって、身体中に緊張が走って、心臓が冷たくなっていく感覚があった。妙にリアルだった。


重い瞼を引きずったまま、身体をくるりと回転させると、彼の腕でぎゅっと引き寄せられた。起きているのかと思ったけれど、スースーと穏やかな寝息が聞こえてきた。

再び遠のいていく意識の中で彼の腕に身体を預けながら、そういえば、と思う。寝ている間、私が反対側に転がっていった先で「なんか暑いな」と感じると、布団がかかっていた。その横で彼の身体が冷たくなっていたから、コロコロ転がっていってぎゅっとすると、ぎゅっが返ってきた。無意識に布団をかけたりかけられたり、引き寄せたり引き寄せられたりを何度か繰り返していた、気がする。


スン、と鼻を鳴らし、頬を温かいものが伝ってきてはじめて夢の中で私は泣いていたのだと気がついた。

大丈夫、これは現実じゃない、と頭ではわかっているのに、いつまでも過去の人間関係を引きずって、彼に限らず "また君もいなくなるの?" と、人から愛されることへの自信を持てずにいる。せっかく幸せなのに「この幸せもいつか終わってしまうのかな」と怯えてしまう。一体、私はいつになったら、純粋に幸福の味だけを味わうことができるのだろう。


この夢が現実になったらどうしようという気持ちと、隣にすやすやと寝ている彼がいる安心感の狭間で彼にぎゅっと抱きつき返すと、私を抱えたままの彼がぐるっと4分の1回転して、朝が来た。


嫌な夢みた、と夢の内容を語ると、彼は「しょーもなっ!予想以上にしょーもなかった、そんなことで俺怒るわけないのに」と笑い飛ばして、でも嫌だったの、とむくれている私の頭をポンポンと撫でた。


前日も宮島で、穴子メシとか牡蠣メシとか、コーヒーゼリーとか揚げもみじとか、焼牡蠣も牡蠣グラタンも酢牡蠣も食べて、ビールも日本酒も飲んだのに、

そのあと、ホテルの朝ごはんのビュッフェを食べて、ひろしま美術館へ行って、広島焼きを食べた。広島城へ行って、原爆ドームの前を通って、パフェを食べた。広島駅へ戻る途中で最後に牡蠣を食べて、駅では彼が日本酒を買った。新幹線で彼がその日本酒を「一緒に飲むために買ったんだよ」と言って開けてくれたから、一緒に飲んだ。


幸福の味がした。

café citron



研究に使うプログラミングの環境設定がうまくできなくて彼にヘルプを出すと、私の設定に先週6時間くらい付き合ってくれた。

昨日は私と同じ研究をするゼミの友人が同じプログラムで躓いたので電話をかけてヘルプを出すと、2時間くらい付き合ってくれた。私たちが「諦めるわ。ありがとう!」と伝えて夜ご飯を食べていた間も考え続けてくれていて、最終的にはどんなパソコンでもパッケージのバージョンとかを気にせず使える方法を考えてマニュアルを作ってくれた。

彼氏さん、優しいね。すごいね。いい人だね。と友人たちが褒めてくれるのを、照れ隠しにそうかなぁとかいいながら笑って流していると、彼女らが言った。


「(私)ちゃんだけじゃなくて、(私)ちゃんの友達だからって、私たちのためにも力貸してくれるなんて、それ相当な愛だよ。彼氏さん、(私)ちゃんのこと、ほんとうに好きなんだね。安心した。」



「タルタルにはポテト、でしょ?」


私と彼が5年付き合っている、と知ると、大体「すごい!」と言われる。それに次いで「じゃあもう喧嘩とかしない?熟年夫婦みたいな感じ?」とか「別れの危機とかなかったん?飽きたりせんの?」と聞かれる。同じ大学ではなくて、自分の家から相手の下宿先まで1時間半かかると知ると「どれくらいで会ってるん?」と聞かれ、「週1」と答えると「さすがやなぁ」と返ってくる。

喧嘩はする(というか拗ねることはよくある)し、別れの危機はこれまで年1くらいで訪れてきたし、熟年夫婦みたいな感じかと言われるとそういうわけでもない(と思う)。スキンシップの頻度が落ちたことはないし、どちらかに予定がない限り夜に電話している。

だけど、私の恋バナは「(付き合って)5年」と言った瞬間に、馴れ初めを求められることはあっても惚気は求められていなくて、甘いエピソードよりも付き合ってきた期間にふさわしい熟年夫婦的なエピソードが求められている気がする。おまけに私も惚気るのが得意じゃないから、つい「エッフェル塔に登った時に感動して写真撮ってたら『そんな同じところの写真何枚もいらんくない?』って言われて腹立った」とか「腕組んでも『暑い!』って言われるけど、そのままでいる」とか「彼が掃除好きじゃないから行くたびに机の上のマウスに埃が積もってて掃除して帰る」とか、そういうところを切り取って話してしまう。「冷めたことないん?」「別れようって思ったことないん?」と聞かれると、自分だけそういう時期がなかったことが悔しくて(?)、「エッフェル塔で…(云々)の時かな」と答える。別れ話になった時のことを聞かれたら、当時は死ぬほど病んでたくせに「『は?意味わからん』と思って引き留めた」と、なんかさも余裕のある強い女だった風に答えてしまう。

これまで恋バナをするときは大抵そうやって自分の話はサラッと流して、付き合ってまだ日が浅い子たちの話や片想いしている子たちの話に持っていっていた。

幸い私は恋バナの聴く専をやることが苦ではない(むしろ好き)。むしろ話し手になると「自慢だと思われないか」とか「私が幸せそうな話を受け入れてもらえるか」に怯えて、相手との親密度や相手の恋愛状況を推し量って「どの程度開示していいか」「どんな話が求められるか」を考えずにはいられないから聴き手でいる方が気が楽で、安心していた。


だから、嬉しかったのだ。

私が恥ずかしくて惚気を伝えられなくても、ちゃんと彼のいいところが伝わっていたことが。そして、彼を褒めてもらえたことが。


ふたり。



最近彼氏ができた友達が「付き合おうとは言われたけど、好きとは言われてなくて不安でさ…」と幸せそうに言うのを聞いて、「自分から不幸になりに行っちゃもったいないよ。不安って言ってるけど幸せそうだし、幸せそうなあなたを見ることができて私は幸せだよ。だから、不安、じゃなくて、幸せっていうのが答えだよ。」なんて先輩ヅラして言ってみたけれど、それはまんま私に言えることだった。


彼がいて、私の幸せを一緒に受け止めてくれる友達がいる"今"を見て見ぬふりして、忘れたいような"過去"に戻って、勝手に不幸になっちゃいけない。

私の今は、どっちだ。

"幸せ"の方なんじゃないのか。


谷川俊太郎が言ってたんだ、「信じることに理由はいらない」って。

なら私は幸福の味を信じていたい。


だから今日も私はゆらゆらと、きみとわたしの愛の交点のうえに、浮かんでいる。


そこはきっと、きみとわたしの愛の在処。





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