見出し画像

「いつも、日本酒のことばかり。」という教科書。

「醪の三段仕込みを一気に仕込んだらどうなるの?」

日本酒の教本には、残念ながらその回答は書いていない。いや記載はあるが、ややお茶濁し感がある。教本に物足りなさを感じるのは、このような失敗学的なアプローチを提示してくれないこと。突飛な仮説を立てて、それを実践した場合、どのような事象が発生するのか。それを学ぶことで、今行われている製造プロセスの正当性がようやく理解できる。

巷の教本には、「日本酒というのはこういうものなんだ」という雰囲気がプンプンで、初心者はその根本的な理由を知らずして、盲目的・機械的に学ばざるを得ない。そんな中で、前述の質問。率直に質問をする筆者の山内さんは、好奇心と勇気のある方だなあ、と僕は少し感動した。

基本は日本酒の癒やし系エッセイだが、随所に「おおっ」という議論が発出し、好奇心を駆り立ててくれる。面白かったのは、獺祭のくだり。獺祭は、杜氏制度と寒造りという古き良き伝統を壊したという負の側面を指摘する論がある。でも、筆者は別の見方を提示する。

そもそも、この二つの制度自体が江戸時代から始まったものであり、それ以前の時代の人たちの視点から見ると、杜氏にしても冬に酒を作るという行為も、灘の蔵人達が当時の彼らが培ってきた伝統を破壊したとも解釈できる。

つまり歴史はただただ繰り返されるという事実に過ぎないのだ。言われたら、確かにその通り。でも、この視点にたどり着く人が何人いるのだろうか。時代を点ではなく線で、近視眼的ではなく俯瞰的に見る。できそうで、なかなかできない。少なくとも僕はできない。なので、山内さんの視点は、日本酒というジャンルを超えて、仕事、生き方に十分適用できる要素がある。

いつも日本酒のことばかり考えている、ということは、ある意味、常にリベラルアーツに触れていることと同義かもしれない。日本酒を学ぶことで、歴史・農学・醸造学・農業経済・経済経営・マーケティングといった、広範囲なジャンルを連携させながら考察する癖がつく。

そうなると知らず知らずに自分の視野が広がり、脳内で想像困難な化学変化を経た中で、ある仮説に基づく質問や鋭い洞察が生まれる。参考文献も見たが、エッセイだとしても相当な文献に目を通した上での出版。だから緩いエッセイの中にも説得力がある。

本書には、多くの酒蔵さんや杜氏さんが登場する。酒母と醪の違い、生酛と山廃の違い・・・。生々しくて全然教科書的でない、だから面白い。今、まさに酒を作り試行錯誤している人達の声というのは、説得力が違う。そうなんだよ、日本酒を飲む素人(僕)はこういうことを知りたいのだ。三段仕込みなんて七面倒くさいでしょ。生酛より山廃の方が作業としては楽でしょ。火入れなんて2回もする必要あるの。

でも誰にも聞けないのだ。だから、この本はエッセイというカテゴリかもしれないけど、僕にとっては、教科書に近い。何度も読み返したくなるし、別の発見がある。なんと言ってもタイトルがいい。僕も似たようなスタンスで生きようと思う。これほど面白いジャンルはそうそうない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?