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1400㌔の自転車レースドキュメント ロンドン>エディンバラ>ロンドン


序文


カオスである。

歳も
環境も
身体も
バラバラである人達が集まり
そこに一つの“意志”が生まれる。

ロンドン>エディンバラ>ロンドンを経由した
「1400㌔の自転車、耐久レースをしましょう。」

この意志が何の関係もなかった彼らを集わせて
脳内に様々な物質を発生させる。

レースを最短で攻略して見せようという人々
期待と不安の入り混じった目を輝かせる人々
何も考えずに応募した人々
etc etc

まるで「クリスマス前までには帰れるさ。」を合言葉に
第一次世界大戦の志願兵でごった返したロンドンを
彷彿とさせる。

共通して言えるのは、生半可な覚悟や見通しをした者が
生き残れる程、甘くは無いということだ。


1400㌔の自転車レースで何が起きるのか

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日本では余り見受けられない丘陵が果てなく続く、
のどかな田園風景を進む。
この世の天国ともいえる場所を気持ちよさそうにサイクリング
しているようにも見える。

だが、何の遮蔽物の無い堤防の海沿い、川沿いを進んだことが
ある人にはわかるかもしれないが其処に強力な逆風が吹いたとき
天国が地獄に変貌する。

数値でいえば平均時速30~40㌔位で進む彼らに時速20㌔の逆風が
降り注ぐことになる。

そんな現実が走り始めて早ければ1時間程度で突きつけられる。
完走は早い人で3日、遅い人で5日…進まぬ時計の針が
参加者の心を挫きに来る。


そんな耐久レースも中ごろになれば


逢魔が刻、疲労もピークを迎える様なタイミングで
単調な風景の中で何日もサイクリングしていると
見ているモノ、木々や雲、道路の白線が頭の中で解けて
再構成される…つまり幻覚を観る。

昔、何かのドキュメンタリーで阿闍梨も歩き詰める修行の中で
同じような体験をした事を聞いた事がある。

本質は何も変わらないのかもしれない。


彼らは何かを得る


このレースに賞金は出ない。
所謂、「頑張ったで賞」のメダルがもらえるだけだ。
頭の中で、「1400㌔を完走しました」がアンロックされるだけだ。
多少の栄誉はあるだろうが微々たるものだ。

そうであるのにも関わらず完走した彼らの目には
大きな何かに突き動かされるような感動で溢れている。
彼らを支えたスタッフや家族、仲間…
そして、このレースを目撃した私や私達の間でもだ。

見ていない人は是非、確認してもらいたい。


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