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豚トロに共感しないでよね。

 あまり共感されないのだが、酔って虚空を見つめた瞬間に幻覚を見ることがある。それは酒の飲み過ぎではないかと問われることがあるのだが、思い出して欲しい。あなたは酒を飲みすぎて幻覚を見ることがあったのかと。無いのであれば、あなたは酒の飲み過ぎについて言及する資格はないということだ。
 最近、豚トロが食べたいなと思った。豚トロが食べたいと思うタイミングってなんですか、本当に存在しますか、嘘ばっかりついていませんか、あなたは手首を切るなどの自傷行為に耽って自己を愛するふりをしてやいませんかと、問い詰めたいところだが、豚トロを食べたい日は何故かやってくる。豚トロ、脂肪がついていて甘い部位。焼けば焼くほど細っていく。ははははは、無様だね。
 なぜ脂肪がついている部位をトロと称するのか。それが知らぬ知らぬは狐の嫁といった具合で問い詰めたい。なんすかね、それ。
 豚トロが食べたいのだ。という訳で買ってきた。近所のスーパーマーケッツで。スーパーマーケッツの中で豚を解体していたら怖いな怖いなと思いながら、死んだ鳥を揚げたドラムを眺めていた。言ってしまえば、豚トロなんか食わずにこのドラムを頬張ってはアメリカに賛美を重ねるべきではないかと思った。しかしながら、この賛美は届くのであろうか。きっと届かないだろう。隣の寿司が踊っていることが証左ですよと言っているような気がした。
 寿司が踊る。寿司が踊る。大変な踊りである。頭の中で雅楽が鳴り響く。竹で作った筒から響く音はなんとも優雅で難儀であるなと思う。だってそうだろう、意味のわからん呼吸法から発せられた音は空を切り裂き、聞いた人間の頭を正月に変貌させる。もしくは、宮内庁の認識になるのであろうヵ。なんにせよ、あのプァーという間抜けな音は僕の中でルンルンと鳴り響く。つまり、僕はあの雅楽の音が好きなのだ。
 豚トロに話を戻す。昔、友人が豚の脂は良い脂と言っていたことを思い出す。ISISに言ってやりたい言葉だ。あなたがたは豚の脂の喜びを知るべきではないだろうか、と考えたのだが、其れはどだい無理というもの。彼らの宗教は尊重されるべきであり、彼らの前で豚を食うなどの行為はしてはならない。もし、どうしてもしたいというのであれば、親指と人差しをくっつけて◯の形を作り、中指薬指小指をピンと立てる。謂わば、OKサインのような形であるが、昨今の認識では、White Power詰まり白人至上主義を表すことになるのでしないほうがいい。なんの話か。もう忘れてしまった。
 そう、忘れるのだ。今までの話は忘れるに値する話である。酒を飲み天井の染みを数え明日に備える瞬間。この時間こそが現実の僕であり、私であり、俺であるのだ。つまり、何が言いたいか。酒を飲んだ時間は、自身で区分した自我の境界が曖昧になり、其れを許容するには大変な体力を要するということだ。現実を忘れたいが為に酒を飲んだのにも関わらず、やってくるのは自己を許容しろとう強要。此れを強いられている状態こそが、酒を飲んでいながら幻覚を見出すことのできる状態とも言える。
 豚トロを焼いているフライパンが嫌な音を発している。やけに焼かれ先細った豚肉を食べようかと思っていたのだが、自身から抽出された油により揚げ焼きの状態に陥ったようだ。こうなると脂でギトギトになった豚肉に成り果てるしかない。此れを食べるんか。嫌な気持ちだ。暴れようかな。暴れて骨折でもしてやろうかな。暴れて泣いて鳴いて晴らしてみようかな。そんな事も知らないで豚トロはどんどんやせ細っていく。旨味はてんで無くなったかもね。


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