借金玉
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もう行かない街のこと、それから鱒釣りのこと
久しぶりに高田馬場に行ったら、なんだか見たことのない街になっていた。疫病の季節はここぞとばかりに進出するアジア圏勢力が台頭していたけれど、最近はまた日本人が押し返している気もする。大学周りの飲食店はかなりのダメージを受けたけれど、徐々に回復を始めている様子だ。久しぶりに大きな音でジャズが聴きたくなってお店に入ったら、なんと禁煙になっていた。え、禁煙になったんですか? と尋ねると、もう4年も前のこ
もっとみる梅雨を待って、傘を忘れる
東京に来て、一番とまでは言わないんだけれど、それでもとてもうれしかったものに「梅雨」がある。春から初夏に向かうあの日差しは、疲れて痛んだ目や心にやさしくない。だから、僕はだいたい毎年梅雨入りの日をとても楽しみに待っている。目を覚まして窓の外を見る、雨が降っている。ああ、今日は雨降りの日だからお休みの日だ。そういう気持ちになれると、ちょっとだけうれしい。僕はね、運動会が雨で延期に、あわよくば中止に
もっとみるスリップしたこと、尽きていったもの、せめて次の電信柱までは
十年越しに睡眠薬依存へスリップし、挙句の果てにオーバードーズで緊急搬送された。言い訳の余地もない。
この数年、ひどいことがたくさんあって。
もちろん、僕なんかよりずっと辛い境遇を前向きに生きている人はたくさんいるだろうし、ただ単に僕が弱いだけなんだろう。「生きのびよう」なんてテーマで「サバイバルガイド」を書いた著者が、自分の人生や未来が存在しなくなった前提に立って行動している現状は、どんな
これが関係先に突撃しまくる状態で、仕事が出来るわけがない。
それだけは理解してもらいたい。
本当に聴いて欲しくないけれど、聴いて欲しいです。
これが私のおかれた現状です。
私が長く仕事を止めていた理由と、これまで何が起きていたのかについて①
先日の騒動についてのお詫びとご報告 まず、さる3月31日に顧問弁護士より報告がございました、私の自殺未遂騒動について心よりお詫び申し上げます。
恥を忍んで真実を申し上げると、あれは自殺未遂などというマトモなものではなく、ここから続いていく文章を書き連ねるストレスと膨大なデータをとりまとめる作業の苦しさに耐えかね極度の不眠に陥り、睡眠薬を飲み足すうちに自己制御を失い、助けを求めたのか、何か言いた
「実行系」について、発達障害者における職業的訓練について、あるいはもう戻らない時間と壊れた身体について
これは次に出版される予定だった書籍のコアになる部分なのだけれど、最早次の本が出せるかわからない状況なので、ここで書けるだけ書いてしまおうと思う。
編集やブラッシュアップを経ていないので、些か言葉は足りていないか、さもなければ過剰になっているだろうけれど、書き散らしておけば誰かの役に立つかもしれない。
これは「理系」「文系」みたいなやつと合わせて「実行系」みたいな概念を持って鍛えるとすごく
働ける障害者、働けない障害者、それから健常な人たちと、夜が明らむ前に。
障害者の分際でこんなことを言うと匿名SNSなんかではすごく怒られるのだけれど、僕にだって欲しいものはあった。都心のタワマンなんて言わないし、イタリアのスポーツカーなんて言わない。ただ、住宅ローンを組んで家を建ててみたかったし、家族だって欲しかった。もちろん、僕らの生まれた時代はすごく不景気だったからこれが「人並み」なんて言わない。健常者でもこの水準に辿り着けない人がたくさんいるわけで。もちろんそ
もっとみるどこへ行くあてなく流れては枯れて、水仙の咲く足許を見る
花を活けられなくなった。
人間は精神や肉体が壊れると、どんどん感受性が乏しくなっていくものらしい。何も食べても美味くない(だから料理コラムを書きようがない)し、何を聴いても騒音になる。嗅覚もだめだ、長年気に入っていたお香(とても安くていい香りなので金沢から取り寄せていた)から、寿司屋のカウンターに香水をたっぷり振りかけて座るあのクソみたいな匂いがする。
理屈はわからない、ふつうに考えれば
髪と眉を剃るだけのことで変わる、人は見た目が八割かもね
最近、ある種の意思と決意のために、髪と眉を剃り上げた。自分は社会的なものや真っ当なものとは断絶して、やるべきことに集中する。そういう効果を期待している。もちろん、こんなことは無職(僕のことだ)ならだれでも出来る。本質的にはなんの意味もない。ちょっとした気分転換くらいの話だ。
最初は片耳でも切り落としてみるか、それとも顔に丸パンのクープみたいな十字の切れ込みでも入れてみるか、なんてことを考えた
死ぬことについて、依存症について、あるいは人間の屑について
僕は自殺未遂を何度も起こしている。
なので、「こうやってもまず死ねない」方法について、結構詳しい(本当に悲しい知識だ)。こういった内容の記述は基本的に避けようと思ってきたことであるのだけれど、自分自身の人生が岐路にあると感じられている今、書いてみることにささやかな意義を感じなくもない。もうあまり「生きていこう」と主張する権利は僕にはないのだけれど、「医療リソースをムダ食いする僕のような人間の
けじめをつけるために、一つずつ
自分の人生やこれまで生きて来たことに「けじめをつける」というのは、それなりに難しいことだと思う。もちろん、薬と酒をかっくらって風呂にでも寝っ転がってみたり、あるいは先日アップしたトリカブトとロヒプノールを口に放り込んでしまえばそれで終わるところではあるけれど、なすべきをなして、やるべきをやって、きちんと終える。そういうことになると、それはとても難しい。「生きていたい」気持ちは何をどうやったってゼ
もっとみるCredit check and Trust exercise.
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