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初めて日本でフルマラソンを走った in 福知山

この文はもう既に発表していたけど、「日本全都道府県に行ってきた」の一環として再掲します。

11月23日

今回の日本滞在中にやってみたかったことの一つに、「日本のマラソン大会に参加する」というものがあった。

僕はシドニーに行ってからランニングの楽しさに目覚め、ハーフマラソン、10キロレースなどはちょくちょく走っているし、フルマラソンも年1回ペースで参加している。

やはり地元シドニーの大会が主だが、オーストラリアの各都市で開催される大会にもいくつか参加した。

となれば、今度はぜひオーストラリア国外での大会にも参加したい!と思うのは、ランナーにとって自然な流れだろう。

ただ、僕はそこらへんのフツーのランナーなので、有名どころの東京だボストンだベルリンだといった大会に参加するほど意識は高くない。

それで僕が滞在してる期間中に開催されるマラソンイベントをいくつか見てみたが、イベント自体はたくさんあれど、なかなか適当なものがない。あるイベントは早々に募集打ち切りとなっていて、やはり日本はマラソン熱が高いのかなあと思ったり、「外国に住んでいる人はお断り」という、これはコロナを気にしてるのかな~、的外れだけどな~、というイベントもあったりした。

すると、福知山マラソンというのがヒットした。

福知山には行ったことはないが、そんなに大きな街ではないはずだ。そんなところでマラソン?と思ったが、ちゃんと日本陸連公認コース、と謳っているし、評判の高い大会らしい。

そして僕の両親は宝塚に住んでいるので、福知山には電車で一本で行けるから、アクセスも比較的楽そうだ。

秋の丹波路を走る…いいじゃないの!

ということで申し込んだ。はてさて、オーストラリアでは何回もレースに参加してるので勝手は分かっているが、いくら言葉が通じるとはいえ、日本ではこういう大会はどうやって運営されているのかは分からない。果たしてちゃんと走れるのだろうか。

もう一つの問題は、フルマラソンに対する準備だ。

僕は9月の終わりに日本に来て、その後はほぼずっと日本のあちこちを旅行していた。その間2ヶ月。

そんなんでは練習、走り込みなんてなかなかできるわけ無い。

それでも旅の荷物の中に、割合かさばるランニングシューズを入れて、時間のある時に走っていた。朝のあまり人がいない時間帯に知らない街に足を踏み出し、例えばお城の回りを走ったり…なんてのは、ランナーの特権だと思う。でもそんな「観光ラン」では、走行距離だって頻度だって、全然足りない。

これでもフルマラソンは何度も走っているので、完走は…まあ出来るだろうな、という自信はあったけど、かなりしんどくなるということは間違いない。

そんな気持ちで、当日を迎えた。

秋晴れの丹波路を走る…いいねえ、日本だねえ、と思ってエントリーしたのだが、当日の天気予報は…雨。

しかも走っている時間帯が一番降水確率が高い。なんでやねん。

この日までの数日はとてもいい天気だったのに、なんでよりによってこんな大事な日に雨なんだ~!と呪わしくなった。

これで参加費を払っていなければまず家にこもっているんだが、さすがに一度払ってしまったからには…と、早朝の電車に乗る。

この時間だと特急、快速といった車種は走っていないので、各駅停車の電車で、所要時間はほぼ2時間。

乗った電車のほぼ9割の乗客はランナーだった。

予想はしていたが、結構混んでるなあ…。
とりあえず座席にはありついたので良かったが、雨が降り出してきた。それも、かなりまとまった雨である。

いやあ参ったなあ…止まないかなあ…と、母親に作ってもらったおにぎりをぱくつきながら電車に揺られ、やっと終点の福知山。

ぞろぞろと前の人について駅の外に出る。ここからスタート地点まではシャトルバスが出ているということで、なら濡れなくてよかった…。

と思いきや、駅からバス停までは少し離れていていた。油断していて傘や防水ジャンパーを持って来なかったので、結構濡れてしまった。

でも、このランナー率100%のバスに乗ってると、これからマラソンだなあ!と少しずつ熱気が自分の体から湧き上がってきた。

バスは10分ほど走り、会場の体育センターに到着。

ここで受付をして、ゼッケンを貰わないといけないのだが、それは体育館の外で、しかも雨が結構強く降ってきた。

早くしてくれ~、と心のなかで叫びながらもゼッケンを貰い、体育館の中に入る。やれやれ、これでしばらくは雨から逃れられる。ホッとして、ここの一角で着替えをした。

ここで不安だったのが荷物の預かりはやってません、ということだった。

え?じゃあどこに着替えなどの荷物を置くの?と勝手の分からない僕は困っていたのだが、幸い別件でつながっていた「ランナーズ」という雑誌の方に厚かましくも聞いてみたところ、体育館に皆勝手に置いておく、ということだった。そんなんでいいんかい!

こんな方法は、オーストラリアではありえない。まず、セキュリティの問題。テロ…と言うと大げさだけど、誰のものかはっきりとしていない荷物を公共の場に放置するのは危険すぎる、という考えがある。そして、たとえ貴重品は無いとはいえ、こんな無防備なことをしたら、かなりの確率で誰かに取られちゃう。

でもさすがにここは日本。まずそんなことは起こらないのだろう。その代わり、貴重品は預かってくれるというので、財布などを預けてもらう。どうやって管理するのかな、と観察してたら、自分の名前などを書いた封筒を、デスクの背後の壁に並べているだけ!まあこれも、日本ならまず問題は起きないだろうからいいんでしょうね。

ちなみに、オーストラリアの大会では、荷物預かりはほぼ確実にあるが、貴重品預かりはない(自分で持って走ってね、というスタイル)。ここが日本と逆なんですね。

これで一応準備完了、となったので体育館に戻り、バナナを食べたりしていた。
周りはもちろんランナーばかりで、ワイワイガヤガヤ、なかなかいい雰囲気だ。「全くこんな雨で…」「やってられまへんわ」とボヤいてる人が多く、皆考えてることは同じだなあ、と変な連帯感を感じた。

出走時間(というか)が近づいてきたのでまた外に出る。まだ雨は降っているが、幸い受付で雨よけの簡易ポンチョをもらっていたので、それを着る。ポンチョと言っても、ビニール袋に袖がついたくらいだけど、これがあるとないのでは大違いだ。

それにしても、曇ってるなあ。周りは低く垂れ込めた雲というか霧というかに囲まれていて、お向かいの山だって殆ど見えないじゃないの。

待っていると、雨が止んできた!どうせまた降り出すという予報だが、じっと待っている間に雨に打たれる、というのは一番無惨なので、これは助かった。

老若男女が一同に走る、というのがマラソンの素晴らしいところだが、ここは日本(しかも地方都市)なので、外国人らしき人はほぼゼロ。当たり前だが、ああこれは日本の大会なんだなあ、と実感。

スタート時間も近づき、スタートラインにランナーがぐぐっと集まってくる。そろそろだ。どんなペースで走るべきか、足、動くかな…といった様々な思いが頭をうずまき、この時間が一番緊張する。

そしてついにスタート!

最初は、福知山の街を目指して走る。

いやそれにしても、沿道で声援を送っている人の数が多い!こんな天気なのに。福知山の住民、ほぼ全員出ているんじゃないの?と思うくらい。

こちらも気持ちをお返ししないといけないよなあ、と思い、なるべく頻繁に、「どーもありがとー」と返事をしながら走る。

そうそう、レースでは目標タイムを一応決める。僕の最近のタイムは3時間45分ほどだったが、今回は初めての日本の大会、練習不足、ということもあったので、タイムは気にしないようにしよう!と思っていた。

それでも、4時間は切りたいよな…というスケベ根性が頭にあったのだが、幸か不幸かこの天気。そんなのは無理!とさっさと頭を切り替え、まあ4時間15分ほどで走れりゃいいや、と計画を変更した。

祝日の眠ったような市街地を巡り、橋を渡って街を外れる。ここからは川沿いの道をずっと走るはずだ。

川の向こうには山が連なり、まだところどころ色づいている。山の中腹には雲がけぶってたなびいている。典型的な日本の里山、といった風景で、なんとはなしに懐かしさを感じた。

人家は徐々に切れてくるが、ぽつぽつと現れる集落には必ず応援してくれる人がいて、これは本当に気持ちが上向きになる。

しかし、雨がまた降り始めてきた…そして雨脚は強くなってくる。

またカッパを頭から被り直して走るが、もうシャツもパンツも靴もビチョビチョだ。幸いに風はほとんど吹いてなかったので、体が冷えるという最悪の状況は避けられたが、これは辛い。

しかも、雨水が道路一面を薄く覆っている箇所も増えてきた。最初は水たまりを避けながら走っていたけど、もう既に靴はじっとり濡れそぼってしまったので、最後の方はもうどうでも良くなって、じゃぶじゃぶと真っすぐ走った。

そして周りも雨に打たれて黙々と走っている人ばかりなので、ここでも「大変なのはオレだけじゃないんだから…」という連帯感が僕の足を前に運んでくれる。

そして、この大会では目が不自由な人もかなり参加していた。もちろん伴走者と一緒に(手首をつないで走る)走っているのだが、その多くが僕より速くスイスイと走り抜けていく。うーむ、すごい。素晴らしい。

マラソンって、他のランナーからもモチベーションをもらいながら走るんだよね。

エイドステーションでは、なにやら茶色い塊を配っていた。走りながら、「これ、なんですか?」と聞くと、「黒糖です!」と言われたので、いくつかつかみ、走りながらむしゃむしゃとかじる。

雨に打たれながら食べた黒糖は、疲れた身体に沁みたぜ。

それ以外にも、飴やらバナナやらを配っているボランティアの方々がいて、ありがたいことだ。あたたかいコンソメスープを配っている人もいたのだが、それを取りそびれたのが今でも残念だ。

この大会の良いところは、かなりの頻度で給水ポイントがあることだ(大体5キロおきだったかな?)。こんな天気なので汗だくにはならないが、水分は確実に身体から失われているはずなので、こまめに少しずつ水を摂った。ここでもコップを渡す際にかけてくれる声援が心に沁みた。

しばらくすると折り返し地点に近づいてきたようで、向こうからトップランナーが戻ってきた。彼ら彼女らは流石に、飛ぶようなペースで、滑るように走ってくる。こちらはかなりへばっては来ているが、声援を送る。

そしてこちらも折り返し。ここが26キロあたりで、中間点は越えているのだが、まだまだ。

フルマラソンでよく言われるのが、「30キロの壁」というやつだ。

30キロあたりで身体のスイッチが切れてしまう現象で、僕もこの暗示にかかったわけでもないが、過去の大会でもだいたいこのあたりで何もかもが嫌になってしまう。

しかも今回はこの雨の中。

そして、折り返しということは、帰りも同じ道をたどるということになるので、気分的にも少し、いやかなりマンネリになってしまう。

35キロ地点からは、かなりペースダウンしてしまい、歩いてるの?と思うくらい足が前に出なくなった。

足がピキ、ピキと痙攣をし始めてきた。これは大体どの大会に出ても起こる現象なので、僕としては「あ、また来たか」という程度だけど、やはりしゃくに障る。もちろんその度に少し速度を落として、だましだまし走らなくてはいけない。ペースが落ちるのも当たり前だ。

それでも、ある給水ポイントでは地元の高校生らしき集団が大勢いて、ものすごい熱量で声援してたので、おじさんも頑張らなきゃ!と見栄を張り、元気にお礼を言って水の入ったコップをもらう。JKパワー、恐るべし。

この辺りは毎回本当にしんどかったのだが、今回は恐ろしいことにどんどん他のランナーを抜いていて、ペースは落ちてるのに順位はかなり上がって来る、という変なことになってきた。

今回は僕としては遅めのペースで走っていたので、なんだかんだ言っても、周りのランナーと比べると余力がある方だったのだろう。

ちょっと嫌らしいが、「あ、オレのほうがちゃんと走れてるじゃん」という優越感のようなものを感じながら、あと7キロ、6キロ…と頭の中で唱えながら走り続ける。

見覚えのある景色が見えてき、ゴールの運動公園が近づいてきた(スタート地点とほぼ同じ場所)。

最後の1キロほどはかなりの坂になっているが、もうこれで終わり!というハイな気持ちと、周りの声援に押されてもうひと踏ん張りしながら走り続け…

Goaaaal!!

頭にはこないだ直島で買った草間彌生手ぬぐいを巻いて走りました。

タイムは、4時間6分27秒。この天候と自分のコンディションを考えたら、上出来だ。後で詳細を見たら、総合、年代別ともに半分よりも上のタイムだったので、まあこんなものでしょう。

それにしても、今まで走ったフルマラソンで、一番過酷な天候だった。でも一度も止まらずに走り切ったのは嬉しい。

やった~!という高揚感、無事に走りきった…という安堵感がごっちゃになる。

それにしても…もう服はぐちゃぐちゃで、身体もブルブル震える…という程ではないけど冷え切っている。

心身ともに余裕があれば、出店のブースをのぞいたりしたかったのだが、この時点で頭の中にあったのは、一刻も早く家に帰って風呂に入りたい!という一念だった。楽しみにしていた豚汁も、ちょうど出払ってしまっていて、あと5-10分待たないといけないらしい。うむむ、残念。

ならば帰宅じゃ!と結論付け、体育館に戻り、乾いた服に着替え(替えの靴はないので足もとは濡れたままだけど)、無事貴重品を回収し、福知山駅に戻るシャトルバスに乗る。

恐らく完走した人がほとんどだろうから、皆達成感のあるいい顔をしている。

待ち時間もほとんどなく特急に乗れ、車内でお疲れ様のこれ!

本日一番の、「沁みわたる」だった。

無事に帰宅し、親の料理を食べながらまたもやビールや日本酒。もう大会が終わったから、浴びるほど飲めるぞ!とハイになりながら楽しいひと時を過ごしたのであった。

さて、次の日からはまた旅に出る…。

(つづく)

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