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「成長の踊り場」で組織課題が噴出する本当の理由

多くのスタートアップが急激な成長を成し遂げた後に直面してしまう「成長の踊り場」において、私自身も組織課題が噴出する場面に当事者として立ち会い、組織・カルチャーに責任を持つ立場として忸怩たる思いを経験した。

あれは一体どういう現象だったのか、どのような複合的な要因であのような「カオス」が現出してしまったのか。引き続き横目でも見聞きする本現象について回顧的な考察を中心に展開する。サマリとしては次の3つに集約できると考える。

1)「成長」というポジティブ要因が薄まり、相対的に「問題探し」というネガティブ思考がマジョリティを占める
2) 問題探しは大抵の場合「チーム」「人」に行き着く(犯人探し)
3) 実際は「成長」によって隠れていた組織課題が明るみに出るだけ

経営者が好んで使う「成長が全てを癒す」というのはある意味で正しく、ある意味で大きく間違っている。

事業も組織も、一定の成長があることで「カオスと活性化」「成長機会」という内的なエンジンを手に入れることができるのは間違いない。ただ、この内的エンジンがやっかいなのは、事業が成長していれば"ずぼら"な組織・カルチャーデザインでも手に入ることにある。組織の内面に自然発生する「追い風」と言っても良いかもしれない。向かい風の対比となる追い風は、大抵の場合無自覚的でそれを受けている時は気が付かない。一心不乱に駆け抜けながら成長を追い求めるスタートアップというのは、本来そういうものである。

一方で、事業成長に伴う野放しな組織成長は、多くの場合「組織課題」を隠してしまう。つまり組織課題という視座では「成長が隠す」というのが真実。カルチャーや組織マネジメントに関するバグは、正しく修正とデプロイのサイクルを回さないと技術負債のように水面化で蓄積されていく。これが無惨にも明るみに出るのが「成長の踊り場」という超バットタイミングとなる。さらに市場の追い風を受け事業成長していた場合の「踊り場」というのは、実は事業と組織の内外的な向かい風への急転換というダブルパンチなのである。

ゆえに、いかなる時も組織やカルチャーに投資し続けないと成長の踊り場や外部環境の急激な変化で一気にツケを払うことになる。

この痛みを経験したことのない起業家や創業者は、多くの場合急成長する事業(これを実現できている時点で本当に素晴らしいのだが)に連動して急拵えに組織を成長させるが、その後訪れる「踊り場」における組織的混乱、不満やヘイト、内向的なネガティブエネルギーに大きく足をとられてしまう。本来であればあらゆる「成長」のために直接投資できるはずのリソースの多くを、止血作業に投下せねばならない時の心理的ジレンマは経営陣マインドをネガティブなスパイラルに誘っていく。残念ながら、トップやボードメンバーが腕力で対応せねば解決しない難易度のイシューのオンパレードとなる。

そして、これ系の個別具体事例の話は多くの場合明るみにならない。外部発信される界隈のメディアの情報は未だに生存者バイアスで溢れている。特に組織系のつまづきは最小単位がbyネームの人に起因するため、一定のリスクも伴い公に共有するインセンティブが働かないという構造的問題に起因する。これ系の話は一歩間違えるとただの悪口や陰口となりかねない上に、SNSの浸透で超絶クリーン化されている現代環境においては些細な火種が炎上の素となる。つまり二重構造的に組織視座の失敗談をナレッジとして外部公開するモチベーションはスポイルされている。ゆえに、超絶インターナルな内輪飲みでしかシェアされず、それも場の空気上ポジティブな学習機会というよりは傷の舐め合いに近い。

「組織」というものは、こういう構造的課題を抱えているというメタ認知をスタートアップのボードメンバーはしっかり持つべきなのだと思う。

最近よく耳にするCHROポジションも採用等の「攻め」と同時にこれ系の「守り」も経験や特質を持った人物像が望ましいが、そもそも採用ニーズを発するスタートアップ経営陣が上記のような「守り」側の解像度が粗いため多くのミスマッチが起き始めているようである。プロダクトやマーケティングのように短期かつ定量で結果の出る世界とは一線を画すのが組織・カルチャーなので、一定の時間を経ないと内省も外部評価も正しく行われない。

これも、スタートアップが持つべき時間軸と「組織」というものが内包する体内時計の不一致という構造的問題を各位がメタ認知すべきなのだろう。

※本noteは以下投稿の加筆ver.です。

これ系の話が100個ぐらい詰まっているのが本書です。


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