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トップダウン組織の想像力の無さと「はっちゃん」に学ぶべきこと①

今日たまたま見た3つのコンテンツの紹介と、それを踏まえて考えたこと(トップダウン組織の想像力の無さと「はっちゃん」に学ぶべきこと)を書いていきます。まずはコンテンツの紹介と感想を記します。
長くなりそうなので記事を複数に分けようと思います。

なぜ君は総理大臣になれないのか

小川淳也衆議院議員(立憲民主党無所属フォーラム)が2003年に民主党から初当選してから現在に至るまでを追ったドキュメンタリー映画で、「UP!!!」というサイトで映画本編+トークショー(小川議員、大島監督、鮫島朝日新聞記者、田崎史郎氏)を見ました。

◆映画本編について
小川議員の選挙活動及び政治家としてのキャリア形成が非常に苦難の道のりであったということが伝わりました。色々なメディアで本作品のことが取り上げられているので、詳細はそちらを見て頂けると助かりますが、ざっくり言うと「清廉潔白な理想主義者の青年が日本の政治システムに苦労させられる」話です。
小川議員は、大きな方向性として正しいことを言っている方だと私は思っています。曰く、日本社会はこれまでのような経済成長をあてにするのではなく、社会全体で資源の再分配を行いながら持続可能性を追求していくべきだと。小川議員の国会での発言などをネットで見たりしましたが、誠実に、正しいことをしたいと言う思いを持たれていることが伝わりました。

その上で、まず選挙活動の苦難ですが、小川議員は32歳で初当選した時から、地元香川で自民党の世襲議員である平井卓也議員(四国新聞のオーナー一族出身)と戦う羽目になっており、2009年の衆議院選挙を除いて、基本的に比例で当選した議員で、選挙区当選しないと党内での「発言力」が得られないそうです。自分で票を稼げない奴(党のおかげで当選した奴)に発言権なんか無えよ、と言うことみたいですね。
キャリア形成の苦難に関して言えば、上記の発言力が得られないことが根底にあるのですが、民主党が下野して以降の野党の離合集散のゴタゴタに巻き込まれた挙句、色々あって”女帝”小池百合子の希望の党から出馬せざるを得なくなり、そこである意味政治家としてのプライドをズタズタにされて結果野党第一党である立憲民主党にも入らず無所属の今に至る、と言うような、見ていて少し辛くなるくらい陽の目を見ません。仰っていることは良いのに、という感じです。

補足として、”女帝”のくだりですが、選挙を控え、民進党の前原代表が希望の党に合流する合意を彼女と取り付けた後、「全員を受け入れる気はさらさらありません」と言った上でリベラル議員だったら嫌がるような政策協定書への署名を民進党出身者に求めた「踏み絵」を指してます。改憲支持、とかですね。小川議員は、署名をした上で小選挙区で落選して比例で希望の党から当選してますので、プライドをズタズタにされたというのは、自分の政治信条をある意味曲げてまで当選のリスクヘッジをしたのに、それがヘッジになってなかった(と思える結果になってしまった。無所属で立候補していれば、信条を貫いた人物として当選していたかも)ということです。

◆トークショー(小川議員、大島監督、鮫島朝日新聞記者、田崎史郎氏)
「GoToキャンペーンへの賛否は?」、「安倍さんの4選はあるのか?」、「小川議員は何故総理大臣になれないのか?」等といったテーマで参加者の皆さんが議論するといった内容でした。
後ほどまた触れますが、ここで鮫島記者がGoToキャンペーンについて言っていたことがとても印象的で、記事タイトルの「想像力の無さ」にもつながるのですが、凡そ次のようなことです:GoToキャンペーンは、これまで自民党がやってきた、業界や企業(経営者)にお金が回ればそれが地元経済にもトリクルダウンするという、今では通用しない旧来の政策手法をまたやってしまっている。10万円を直接国民に届けるというこれまでにない政策を、コロナの初期の混乱の中では出来たのに、補正予算では旧来の自民党スタイルに戻ってしまっている。
これは、「トリクルダウン」とか頭の中のイメージ(イデオロギー)が先行してしまって、耳聞こえは論理的で正しそうに聞こえるけど、現実(現場)に適応してみるとまったく機能しなかった、ということだと思っています。
(これに対して田崎氏は「コロナで旅館業が最も打撃を受けている」「給付金等の支援策をやった上でGoToだから良い」「旅館業に携わる人が色々いる」等と反論しましたが、私には「ただただGoToを擁護したいです」と言っているように聞こえました。小川議員は「検査体制の拡充がGoToより先だろう」と言っていました。その通りと思います。)

映画のタイトルにもある「小川議員は何故総理大臣になれないのか?」という問いに対しては、田崎氏は「権力に対する執着が無いから」、鮫島記者は「人気者になりたいという欲がないから」今のままでは小川議員は総理大臣になれないということを言っていました。小川議員は二人のコメントを受けて、総理大臣になるとかじゃなくて社会を変えたい。また、変節(何かのために政治信条を曲げること?)はしたくないとのことでした。

個人的な感想ですが、映画では終始選挙活動の映像なので、小川議員が政治家として何を達成したのかがよくわかりませんでした。Googleで「小川淳也 実績」とか検索しても、国会での発言した文字数とか、何かの法案に賛成したとかばかりで、小川議員が国会にいることで何が改善されたのかがよくわからないなあと思いました。法案の賛成・反対が実績なのだと思いますが、例えば法案の否決に向けて具体的に根回しをしたとかそういうのがあれば分かりやすいのになと思いました。(小川議員がめちゃくちゃ誠実で謙虚な方なので、「俺のおかげでこれが出来たんやで」と簡単には言わないのでそうなってるのかもしれませんが)
その上で、彼の実績を詳しく知らない者として限られた情報を元に「何故総理大臣になれないか」を考えたのですが、「社会を変えたい」ことと「政治信条を貫きたい」ことが相殺し合って、行動力を縛っているからじゃないかなと思いました。
私は小川議員の言っていることは良いことと思いますし、それが実現できると今よりかはマシになっているんじゃないかと思います。
しかし、恐らく小池百合子の「踏み絵」事件がトラウマになり、信条を変える(と彼が思うことをしちゃう)と政治家生命が危ぶまれると思っている節がある気がします。それが足枷となって、「社会を変える」ことが目的なはずなのに、すべきことを出来ないでいるから今の状態にあるのではないか、と思いました。
具体的には、32歳で当選した際50歳で政治家を退くと言ったことを「十字架」であると言っていたのですが(小川議員はもうすぐ50歳になるようです)、「社会を変える」ことを本気で実現したいならそんなんどうでもいいでしょと思っちゃいました。

偉そうに書きましたが、小川議員は色々な政治家がいる中で、めちゃくちゃ誠実で、日本をどうにか良くしたいと本気で思っている方だと思います。選挙活動をご家族が支えられているのを見ても、月5万年の賃貸(@香川)で暮らされているのを見ても、本当に大変な思いで仕事をされていて、多くの人間の尊敬に値する方だと思いました。小川議員のような、これまでとは違うやり方で日本の政治機構を運営する方が総理大臣になれるよう、有権者としても応援したい限りです。

眠くなってきたので、この記事は一旦ここまでにします。
次の記事で以下2つのコンテンツについて書いていきますね。
(記事へのリンクを貼りました)

②”撤退”は何をもたらしたのか〜沖縄戦 最後の1ヶ月〜

③ザ・ノンフィクション:おなかも心もいっぱいに
〜はっちゃんの幸せ食堂〜

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