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優越感の品質/後編(容姿コンプレックスOrigin30)

彼女は非常に幸福そうに笑っていた

 その子とあたしは特に親しいわけではなかったのです。
 その頃あたしは画学生で、絵ばかりかいていて、絵の具で汚れた服で”番茶も出花”の肉体を包み、心は自意識でぴりぴりととがっていました。

 その子も絵を描き、同じようなコースを辿っていましたが、どこかのほほんとして見えました。受験をくぐった後、気が抜けてしまったのか、絵もなんだか気が抜けていました。

 その人の絵から気が抜けるのと正比例して、あたしはその子に話しかけなくなっていました。
 もともと喋るのが得意という人でもありませんでした。聞いた話をいろいろに頭で補わないと、何が言いたいのかわからないところもありました。過去に話が弾んだ記憶もないです。

 その日は久しぶりに話をしたのです。お茶でも飲もうかと、彼女は言いました。
 喫茶店のテーブルで向かい合って、彼女はにこにこと笑っていました。とても幸福そうに笑っていました。何がそんなに幸福なのかわからないけれど、きっとなにもかもうまく行っているのだろうと思われました。

 「ねえ、きいてもいい?」
その子は切り出しました。
 「何?」
おおかた彼氏の話でも白状させられるのだろうと、あたしは覚悟しました。しばらく何の近況も伝えあっていませんでしたから。
でもそうではありませんでした。

 「身長っていくつある?」
 「は?」
 見ればわかるだろうが、あたしが小さいのは、と思いながら、「150ぐらいかしら」といいました。

 彼女は笑顔をくずさずに、
 「うふふ。わたしの方が、8センチも高い」と、うれしそうに言いました。

 「なにそれ?」と、あたしは声に出さずに思いました。この子は・・・・どっか変なんじゃないだろうか。それとも何か面白いオチでもつけてくれるのか。

 「体重もきいていい?」と、その子は言いました。
 「44キロ」あたしはぶっきらぼうに答えました。(当時はあたしも軽かったのです。当時はね。)
 「うふふふ。3キロしか違わない。身長は8センチ高いのに」
 彼女は全く同じ質の笑顔を振りまきながら、そしてこう言ったのです。
 「優越感」

あたしは耳を疑った

 これがオチか?
 あたしは耳を疑い、その子の幸せそうな笑顔の中に少しでも理解可能な信号がないかどうか探りました。あたしを呼んで伝えたいことがこれ?まさか。でも、他に何も見当りはしませんでした。
 何も見当たらないので、あたしは五感すべてを使って彼女そのものを凝視しはじめました。

 身長と体重のバランスを保ち、体型やら服装のセンスやら、もろもろの魅力やらを”心ひそかに”競うのは、その年頃の女子には珍しいことではないでしょう。細い方が美しいと勘違いして、例えば親しい男にたしなめられたりするのも、まあよくある話です。

 だけど、こんな風に数字だけ示して「わたしのほうがあなたより優れていることが快感だ」などと言うか?普通?
 こんなことだけに喫茶店代を使うなんてさ。よくあることだ、とは思いにくい。
 ココロの病気にでもなったか?だいいちそれって優れている証拠になるのか?それにしてもこのうれしそうな顔ったらなんなんだ。   

 もしかして彼女はその後も口には出さずに色々と並べ立てていたのかもしれません。

 優越感ポイントチェック3:顔だって私の方がかわいい。(実を言うとあたしはそうは思ってませんでしたが)
 優越感ポイントチェック4:(よく知らないけど)私のほうがいい男とつきあっている。(と、たいがいの恋愛中の女は思っている)
 優越感ポイントチェック5: 性格だって、こんなきつい女よりいい(って彼は言ってくれたかもしれないよね。あたしのような女と付き合う勇気がない男なら)。
 こういう自分より劣っている人を見ると、優越感が満たされる。(そういう女もいるのかもしれない。)
 優越感ってなんて気持ちがいいのだろう。(ほんとか?気持ちよさそうな顔してるけど。そういう自分って恥ずかしくないのか?)
 エトセトラ。
 カッコ内はあたしの内なる解説と悪態です。

自分の欠点はまるで見えない、という現象

 今だったらこれに体脂肪率とか血液さらさらなんとかとか、あと腸内善玉菌率とか、お肌くすみ率とか、カラスの足跡の本数とか付け加えるのかい?どうでもいいけど。
 もっとおばちゃんたちだったら「何キロ減量した」「血圧がいくつ下がった」とかさ。それら減らす必要がない人の方が優れているのも忘れて自慢するかも。

 だけど、でもまあこのように、女同士の会話が「優越感」にぱっきり結びついているケースは稀に違いないわ。

 「そんなに数字が好きならブラジャーのサイズも教えてやろうか」彼女の貧弱な胸を見ながらあたしは思いました。
 「出身高校の偏差値を教えてやってもいいぞ」彼女のどう考えても貧弱な知能を思いながら思いました。
 しかしこうした”みっともない想念”を、あたしは決して口には出しません。出してたまるかよ。

 その頃あたしは人体デッサンに凝りに凝っていたので、彼女の体つきを一目見ただけで、どんなヌードなのかもだいたいわかりました。
 背骨が曲がっていて、だからあごが前に出ていて、姿勢が悪い。あごと調和していない鎖骨の角度。ばねのない歩き方。厚みのないおしり。横隔膜を使っていない不明瞭な声の出しかたから、おなかの皮膚がどんな感じについているかも見える気がしました。

 美容にそんなに関心があるんなら、身長体重よりも先に気にするべきことはあるだろうに。
 っていうか、君も絵を描いているんじゃないのか。キレイな体がどんなものなのかぐらい、わかるだろうに。少なくとも自分がそこからちょっとずれてるぞってことぐらい。
 待てよ。それがわからないから、あんな気が抜けた絵なのかな?

 そこまで考えて、あたしは脱力しました。
 誰かが言っていたのを思い出したからです。「美大や音大には、芸術を花嫁修業のかわりぐらいに思って来ている人がけっこういる」って。
 「お金もちのお嬢さんなんかは、最初から芸術で勝負する気なんかないんだよ」そのだれかの声があたまに響きました。

 驚いたことに、このお茶の席では、これ以上の話題はほとんど出ませんでした。このほかに記憶に残っているのは、美容院にお金をいくらかけているか、ということだけです。

 彼女は美容院は銀座に決めており、一万円札が飛んでしまうけど、月に一回は行くのだ、といいました。
 当時学生が美容院に万というお金をかけるのは、あまり普通ではなかったです。
(そうか。君の家が金持ちなのはわかった)
 「今日はこれからそれで銀座に行くの」
(そのヘンな服でか?というか、その髪の毛に、投資の効果が出ているかどうか、君の親は考えないのかな?とてもオバサンぽいぞ)

 カッコ内のすべての悪態を、あたしは脱力した頭のなかに閉じ込めて、彼女の幸せそうな笑顔を守ってやりました。
 彼女は色んな好意や悪意によって守られた、うふふな優越感を抱いたまま、銀座へと去っていったのです。 

 あたしはそれからしばらくの間、「自分の欠点がまるで見えないという現象」について、まるで巨大な謎を抱えたように考えていたかと思います。あきらかにこのことと、コンプレックスのあるなしは関係があるのです。っていうか、人間の幸福感とこれは完全に関係があるよね。
 

つづく。

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