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食い意地が張ってるから、忘れられないものがあるの。その1

 小さい弟が迷子になった


 本当に本当にガキの頃の話です。あたしは小学生。昭和30年代の平和な日本で。2歳下の弟と、母と3人で、毎週ピアノのレッスンに通っていました。三年生かそこらでした。だから弟はうんと幼かったはず。

 レッスンには車で行く時もあるんだけど、電車の時もありました。駅は千駄ヶ谷だったかしら?
 しんじゅく、よよぎ、せんだかや、と覚えた呪文のように駅名を唱えながら、緊張して電車に乗っていました。

 ある時、弟が見えなくなりました。多分乗り換えの時に遅れてしまって、ドアが先に閉まって取り残されてしまったんじゃないかと思います。行きだったか帰りだったか覚えてません。多分帰りです。

 母は駅員さんに見失った心当たりの場所を話し、駅員さんは迷子情報のために電話をかけてくれて、そして弟が駅長室に保護されていることがわかりました。冬の寒い時期でした。一駅戻って、教えられた場所に迎えに行きました

男の味噌汁

 引き取りに行くと、弟は全然泣いたりしてなくて、むしろ得意そうに、私たちに報告しました。
「あのね、寒いし、もう夜だし、食べなさいって言われて、みそ汁食べた。美味しかった」
「え?駅長室ってお料理できるの?」
「なんかおばちゃんのうちにあるような、練炭で火を入れるやつあって。お鍋かけてた」

 それは七輪って呼ばれるあれだと思います。駅の中で使っていいのかどうかわからないけど、屋外みたいなプラットフォームの端っこにある駅舎だったら可能だったのかも。

 どうも駅員さんたちは休み時間にあったかいものを食べているらしい、という話に、あたしはワクワクしました。

 何よりその味噌汁には、ぶつ切りの長ネギが入っていた、ってところが印象に残りました。
「こーんな長いままなの。細かく切らない。男だから雑なんだよ。でも美味しかった」

 弟が興奮して話すそのネギのことをあたしは想像しました。弟は男の人が、大胆に包丁を数回動かして、長いネギを長いぶつ切りにしただけで、ポンポン鍋に放り込むところまで描写してくれました。

 初めて自分の家以外で味噌汁をご馳走になって、よほどそのことが驚きだったのだと思います。我が家では長ネギは、お蕎麦の薬味のように細かく刻まれていましたから。

この味の記憶はどうしてだろう?

 それだけの話なのですが、あたしは豚汁を作る時に、いつもネギを5センチぐらいの大胆なサイズにしてしまいたい衝動に駆られます。実際は我慢して、せいぜい2センチぐらいにします。ネギが充分な量ない時は母のようにうんと細かくもします。

 だけど頭の中に箸でつまんで齧り付かないと食べられないような、熱くて甘い、ネギのぶつ切りの味が残っているのです。その味噌汁を食べたのは自分じゃないのに、なぜか記憶の中にその味があるのです。

 もしかしたら弟がどうしてもあれをまた食べたいと言って、我が家でもネギのぶつ切りを味噌汁にぶち込んでみたのかも知れません。その時の味が、あたしの中に残ったのかも知れません。でもその記憶ははっきりとはないのです。

 どうしてなのかは覚えてないけど、味は覚えてるわけです。だから時々それを再現しようとして、あたしはあたたかい味噌汁を作ります。(長さ控えめだけど)ぶつ切りのネギ入れて。

思い出の中の味は

たとえ家で再現を試みたのだとしても、きっと弟にとっては、駅長室のそれが最高で、再現しようとして作ったものはどうしたってどこか違うものだったはずだと思います。
 迷子になって心細くて、寒い冬。知らないおじさんたちしかいない駅長室で、作るところから見ていた味噌汁ですもの。冒険の味がしたに違いないです。

 あたしの味噌汁はその時に、なんか羨ましいな、と思ったその気持ちが混じった味がします。それはそれで大事な味なのです。

おひねりをもらって暮らす夢は遠く、自己投資という名のハイリスクローリターンの”投資”に突入。なんなんだこの浮遊感。読んでいただくことが元気の素です。よろしくお願いいたします。