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自己肯定感というBuzzWord:その5


 改竄された自分の記憶の中で、自分が現実よりもかなり優秀な成績を取る中学生ということになっていた(実際は違った!)って話のつづき。

●『陰性相当』の話と似ている

 あたしは乳ガンサバイバーなのですが、手術の前にセンチネルリンパの組織を取って病理検査をしました。
 簡単に言うと、リンパ節の中の見張り役みたいな部分のリンパ腺を取ってそこの組織にガン細胞が飛んでいるかどうかを見たってことです。これで乳ガンが他の臓器に転移しているかどうかを調べることができるのです。必ずセンチネルリンパを通って全身に散ってゆくから。

 組織検査の結果は、-ではなくて+、つまり陽性(ガンがここまで来てるよ)ってことだったのですが、たーいへん微細なものしかなかったため、医者の診断は『陰性相当』。

 どういうことかというと、これを陰性だと診断しても差し支えないって意味です。これほど微細であるなら、他臓器に転移している可能性はたいへん低く、これを陰性だと診断しても、患者の利益は失われない。のちのちの再発や死亡率の"成績”は全く変わらないからである、と説明されました。

  仮に『陽性』なら、リンパ廓清、つまりわきの下のリンパ節を全部切り取る術式になります。そのほうが再発率その他下がるからです。これらのことは全部エビデンス(証拠)の裏付けがあり、長い間の診断と治療とその結果がデータになっているんですね。
  そのデータによれば、これはマッシロではないんだが、シロと言っていいんだ、ということだったのです。だからあたしはリンパ廓清をしていません。

 で。あたしの「体育以外オール5の中学生であった」という記憶の話ですが。これと似ています。あたしは「父の見ている範囲において」オール5なんかじゃないけど「オール5相当」の印象を残し得た(と自分は考えていた)、のに違いない。

 補欠入学も合格のうち、みたいなもんですよ。あたし合格したじゃん!と自己評価していたわけです。
  言い方を変えれば、あたしは父さえ満足させられるんなら、「それってオール5の価値があるのと同じ」という世界観の中に生きていたんだわ!

●父は本当に騙されてくれていたのか?

  父は必ずしも学校の成績にはこだわっていませんでした。そんなのアテになんないことも知ってまして、ちゃんと基礎学力があるかとか、がんばっているかとか、どんなタイプの学習者か実態を観察していました。それは息苦しいぐらいのプレッシャーでした。

 主要三科目については、父が教鞭をとっている塾で、実際に父が作ったり選んだりしたテストをやることもあるわけで、普通の親じゃないんだよね。ものすっごい迫力のある怖い人であるだけでなく、勉強とか子供とかにくわしいわけ。学校の先生の100倍位は鋭いし、ごまかしがきかない。

 父は「オール5を取りなさい」とは一度も言いませんでした。「おまえは理解力はあるけど、ケアレスミスが多すぎる」と分析されていました。ミスがあるのでテストには強くない。

 「テストでこけることがあるから内申点は保険のために取っておけ」とも言われました。的確なアドバイスでもあります。
 的確さ正しさ穴のない理屈。それが父があたしに与えたプレッシャーです。想像するだに「いやーん」な環境でしょ?
 
 その父のもとで「生徒兼彼のコドモ」という位置にいたあたしが考えていたことと言えば、その4でも触れたように、いかにして絵を描き続けるか、ってことでした。
 あたしは実際大変長い時間勉強机にかじりついている子供でしたが、ほとんどの時間は実は隠れて絵を描いていたのです。

 絵ばかり描いていた、といっても過言ではないぐらいに静かにもくもくと描いていたんですけど、それだけではさすがにやばいので、必要な分だけギリギリ要領よく勉強していました。それがあたしの「努力」の中身。
 成績をキープしておいたほうが、父の監視がゆるくなるに違いなかったので、もっと監視をさぼってくれないかなーと期待してがんばっていたのね。
  
  父はあたしが小学校のときから、(父の目からみたらくだらない)絵を描いている莫大な時間を他のことに振り向ければ、もっと他のことがよくできるようになるという発想だったので、あたしは『白昼堂々大手を振って』絵を描きたいとか、そんな大それたことは考えませんでした。

 隠れてでも、描いていられればそれでいい。描かないでいるってことは到底無理だったので環境を死守せねばならないです。なんで描かなきゃなんないのかは、もうこれは説明することができないのね。

  なんでそんなことを隠れてしないとならないの?と普通は思うでしょうが、そのへんはまた別の複雑な歴史があるのでここで詳しくは触れずにおきます。
 この点たとえ親が間違っていたとしても(間違っていると思いますが)ここは親のおうちで、相手はメガトン級に強い。正しいことを言って抗議しても環境をつぶされたら何にもなんないわけです。

 そのように隠れて絵を描く、という自分としては自分であるための最低限の環境を守ることが、あの強すぎる父と暮らすうえでのサバイバルでした。
 あたしは結果的に(隠れて)絵を続けることができたので、頭の中で
「よくやったよくやった」「がんばった甲斐があった」と自分を褒めていたと思います。

  しかしあの父が、本当に、気が付いていなかったのか?といったら、きっと気が付いていたんだろうな、と今は思います。ただ、どのぐらい描いていたかはきっと知らない。時間や量はまさかこれほどとは、ってぐらいだったと思います。(それはずっとあとでバレました)

●絵は隠れて描くもの


 父が(現実よりは量は少なく見積もって)そのぐらいの自由は与えようと思っていた、と仮定して、それはやっぱりあたしが、父が望むような娘像を、必死でキープしていたから、に他なりません。

その中に、ある程度の成績というのはがっちり含まれていました。それから、「勉強が好き」というアティチュードも。また「音楽が好きでピアノが弾ける」というのも条件のひとつでした。

 我が家限定のことですが、絵は「隠れてこそこそ描くもの」であったのは確かです。まさかそれが職業になるだなんてね。

●親の満足度が自己肯定感の多寡を決定する

 はい。あたしは全然オール5じゃなかったけど(笑)、まあまあ勉強は好きで、音楽も好きです。

  ピアノはそんなに才能がないのですが、いい先生について厳しく練習させられていたので、いつも学年で一番うまいとされていました。そして小さいころから本能的に歌が歌えます。


  父は賢くてピアノが弾けて歌がお上手、そういう娘を望んでおり、あんまりその他のことは見ていないのではないか?とすらあたしには思えました。

  ぼんやりしていてミスが多くて、やや肥満していてダサダサで、言う事がきつくて生意気だから同級生とよくぶつかってましたが、そういうところは見てなかった気がします。もしかして欠点も、自分と共通している部分は見えなかったのかも。

 それが教師が持ちがちな死角のありかたのせいなのか、父特有の好みの偏りから来るものなのかは、あたしにはわかりません。
 だけど、大人になってひとつだけわかることは、子供のコンプレックスやら自己肯定感は、その親の子供に対する「満足度」に大変強く影響されるということです。


 それが誤解だろうが、勘違いだろうが、親ばかだろうが錯覚だろうが、極端に言えば無知や無理解からくるものであったとしても、実の親がその子供に満足していればしているほど、その子供は息がしやすい。家庭内に居場所が得られる。したがって肯定感は伸ばしやすいのだと思います。

 父はあたしに満足していたのだと思います。それがあたしの自己イメージと記憶の改竄、「体育以外オール5」の秘密で、その満足をベースにして絵を守ったことが、自分の自信や強さの源なんだな、と思うのです。

 あたしは人間が、過去を、ことに子供時代を、「美化」できることは、非常に健康なことだと考えています。親が子供にひどく不満だったら、子供時代の思い出し方に美化の反対、という症状が出ないとも限りませんから。
  実際にあった状態よりもっと悪く思い出すとしたら、何か不健康なものが隠れている可能性は高いでしょう。

 この父の「満足」というものが、はたからみてもなんかちょっとハードルが高い(?)「条件付き」であったことについては、読んでいて釈然としない方も多々あるかと思います。
 無償の愛じゃないわけ?って反発もあるでしょう。残念ながら無償じゃないことは現実にとっても多い気がします。

 父は天才的な教師でしたが、聖人ではありませんでした。危険なエネルギーを持っていました。これはほんとにサバイバルの経験なのです。

●それぞれの肯定感

  あんだけ怖い親のもとにあって、自分が期待に沿ってゆくことが難しい子供だったらと考えるとぞっとしますが、その場合はまた全く違った経験(グレるとか家出するとか?)と学びとがあったに違いないです。


  ともあれ、色々大変ではあったけれども、大体子供時代をハッピーエンドで終えることができて、実にうれしく、感謝にたえません。

 死守した「絵を描くこと」を、その後プロとして職業にまで持っていけたことは、他人にとってはどうでもいいことかもしれませんが、あたしにとっては大きな誇りなのです。

  父にとってあたしが絵を描くことは受け入れがたい過剰な部分であり、違和感と心配とイライラのもとであったのですが、その理由がどんなに不条理なものであれ、子供はそこをサバイバルする必要が生じます。

  親は取り替えられないんだもんな。

  あたしはその後も大変時間をかけて、絵を描く人間だということを説得していって、応援してもらうところまでこぎつけました。決裂せずにそれができたことも誇りです。これはまあオール5よりうんと価値がありますわ。

 だとすれば、なんのことはない。親の満足が条件付きだったことも含めて、結果的にはあたしの自己肯定感関連にはラッキーだったのじゃないかとも考えられます。そういう考え方が不可能ではないという意味です。
 難しい課題を越えてきたことが自信になった、という平凡なお話ですけどね。

  さて。この稿ここでいったん終わります。しかし自己肯定感についてはまだ語り残した部分があります。今までの話の中にも厄介な一面が見え隠れしてたかと思うけど・・・・・・それは、優越感とか、うぬぼれの問題です。「自信による幸福感」とそれらはどう違うのか。けっこうとなり同士にいるけど違う。

 もしも自分の肯定感が、人を見下げることによって支えられているんだとしたら、それはたーいへん危ういと思うのですよ。
 それについてはまた稿をあらためて書きます。
  
 
 おわり

おひねりをもらって暮らす夢は遠く、自己投資という名のハイリスクローリターンの”投資”に突入。なんなんだこの浮遊感。読んでいただくことが元気の素です。よろしくお願いいたします。