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ジャマイカ音楽#2

 サウンドシステムがジャマイカ音楽における最重要事項と表現しましたが、これは言い過ぎではないと思います。サウンドシステムは現在に至るまでジャマイカの庶民階級の娯楽として非常に重要な位置を占めています。

 1950年代にはジャマイカ音楽には、既にメント(Mento)というフォークミュージックがありました。ジャマイカの庶民階級が聴いてきたものがメントです。米国にも輸出されていた音楽でしたが、輸出品としてのジャマイカ音楽としてはまだまだ弱いものでした。同時期の音楽として同じカリブ海の国トリニダード・ドバゴのカリプソ(Calypso)がありますが世界的にはそちらの方が有名だと思います。メントとカリプソは類似性もあり米国で一緒苦茶に売られてしまったためなのか、区別がなかなか難しいです。

 メントで一番世界的に有名な曲はジャマイカ系米国人のハリー・ベラフォンテが1956年にリリースした「バナナ・ボート」(Banana Boat Song)です。これはカリプソとして有名になってしまいましたが、正しくはメント、ジャマイカの曲なのです。

 1950年代後半にそれにとって代わるように誕生したジャマイカ発の音楽がスカ(SKA)です。

 スカの誕生にはおそらくたくさんの要素が絡んで誕生したと思われます。前述のメントからの影響も当然あったことでしょう。直接的には#1で述べた初期サンドシステムでかけられていた米国のR&Bの影響が一番強かったと思われます。

 メントのような伝統音楽もある中で、SKA以前の初期のサウンドシステムで何故、米国の黒人音楽であるBoogie-woogie、Jump Blues、R&Bがかけられていたのか?これは僕なりの考えですが「一番踊ることに適した当時の最先端の音楽」だったからがその答えです。これは今も世界中で続く各ジャンルのクラブシーンの捉え方と同じであると思います。メントはもはや民謡のような位置付けだったのかもしれません。メントは伝統音楽とはいえカリブ海の陽気な踊れる音楽なのですが、最先端ではなかったのかもしれません。

 でも何故、米国の音楽なのか?これを解いていくにはジャマイカという国の歴史、地政学的な位置付けや当時の世界情勢に目を向けるとこれが見えてきます。

 

 

 


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