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介護労働Ⅰ.『人新世の「資本論」』で読み解く介護労働の意義


 

斎藤幸平2020 『人新世の「資本論」』

 SDGs[1]は「大衆のアヘン」である!、という冒頭の言葉がショッキングな『人新世の「資本論」(斎藤幸平2020集英社新書)』が50万部を突破するベストセラーとなっています。私も読んでみましたが、目から鱗の連続で、非常に刺激的で面白かったです。

 この本は、マルクス[2]の『資本論』を、マルクスの新たな全集プロジェクト(MEGA[3])の成果を基に再評価し、迫りくる地球規模の異常な気候変動、経済的格差の拡大への処方箋を提示しています。介護とはあまり関係ないと思われるかも知れませんが、介護労働の特性や意義を考える上で有益な指摘もたくさんあって参考になります。 

1.エッセンシャル・ワークの重視

 地球規模の気候変動、格差拡大への処方として、5つの構想があげられていますが、その一つに「エッセンシャル・ワーク[4]の重視」が挙げられています(p299)。このエッセンシャル・ワーク(以下「EW」と略す。)に当然、介護労働も含まれています。

「一般に、機械化が困難で、人間が労働しないといけない部門を、「労働集約型産業」と呼ぶ。ケア労働などは、その典型である。脱成長コミュニズムは、この労働集約型産業を重視する社会に転換する。」

斎藤幸平2020『人新世の「資本論」』集英社新書 p313

  EWの重要性は新型コロナ禍で十分に理解されたと思います。
 ここで、私が強調したいのはEWとしての介護労働は労働集約型産業で、機械化が困難だということです。機械化は困難だということであって、絶対に無理とはいえません。

 例えば、腰痛予防用の器具やモニタリング機器、介護記録入力機器などは積極的に導入すべきだと思います。しかし、介護が介護される人と介護する人の相互行為、コミュニケーションで成り立っている限り、機械化には限界があるということを忘れてはいけないと思います。

2.介護労働の特性

 介護労働の特性を見事に指摘している箇所があります。少し長くなりますが紹介いたします。

「ケア労働の部門において、オートメーション化を進めるのはかなり困難である。ケアやコミュニケーションが重視される社会的再生産[5]の領域では、画一化やマニュアル化を徹底しようとしても、求められている作業は複雑で多岐にわたるため、イレギュラーな要素が常に発生してしまう。このイレギュラーな要素はどうしても排除できないため、ロボットやAIでは対応しきれないのである。これこそ、ケア労働が「使用価値」を重視した生産であることの証である。例えば、介護福祉士は単にマニュアルに即して、食事や着替えや入浴の介助を行うだけでない。日々の悩みの相談に乗り、信頼関係を構築するとともに、わずかな変化から体調や心の状態を見て取り、柔軟に、相手の性格やバックグラウンドに合わせてケースバイケースで対処する必要がある。」

斎藤幸平2020『人新世の「資本論」』集英社新書 p313

 介護はロボットやAIでは対応しきれないし、マニュアルとおり行えばそれで済むものでもないという指摘はもっともです。

 さらに注目すべきは介護労働が「使用価値」[6]を重視した生産だという指摘です。

 使用価値とは、人間のさまざまなニーズを満たすことができる有用性のことです。斎藤幸平さんは、介護労働が使用価値を重視した生産であり、過度な効率化は、その有用性、使用価値を低下させると指摘しています。

「もちろん、介護や看護の過程を徹底的にパターン化し、効率を上げることはある程度可能だ。だが、儲け(=「価値」)のために労働生産性を過度に追求するなら、最終的にはサービスの質(=「使用価値」)そのものが低下してしまう。」

斎藤幸平2020『人新世の「資本論」』集英社新書 p314

 介護事業で儲け・効率を求め過ぎるとサービスの質(「使用価値」・サービスの有用性)が低下せざるを得ないという特性があるということです。 「使用価値」・サービスの有用性を無視した効率化は、必要な物や人員まで削ることにつながっていくのです。
 経費節減のための実にさまざまな工夫?アイディアがあります。
 例えば、介護施設ではオムツを節約するために多少汚れても取り替えないとか、食材料費を削るとか、排泄介助時に着けるディスポーザブル手袋を節約して4人の排泄介助で一つとするとか、挙げればきりがありません。

 介護事業は儲けを目的とする民間企業だけに任せていてはいけないと私は思っています。社会福祉法人やNPOなどの準公的な団体の介護事業を地域のコモンとして育成していくことが必要だと思っています。

3.イノベーション[7]と介護労働

 『人新世の「資本論」』は介護労働の省力化、効率化の困難性を的確に指摘しており、昨今の大手介護事業者による介護現場へのICT機器(モニタリング機器)等の導入による人員配置緩和要求(2024年度の介護報酬改定では認められましたが・・・)については、次の文章が見事な反論となってはいないでしょうか。

「ケア労働は「感情労働」と呼ばれる。ベルトコンベヤアでの作業と違って、感情労働は相手の感情を無視したら、台無しになってしまう。だから、感情労働は、ひとりの労働者が扱う対象人数を二倍、三倍にしていくという形で生産性を上昇させることができない。ケアやコミュニケーションは、時間をかける必要がある。そしてなにより、サービスの受給者が、スピードアップを望んでいない。」

斎藤幸平2020『人新世の「資本論」』集英社新書 p314

 介護は介護される者と介護する者の相互行為、コミュニケーション行為なのであって、そこには、感情の交流が不可欠なのです。ICT機器は感情交流の代わりにはなりません。ましてや、感情交流をスキップ・省略する介護はもはやabuseでしょう

また、「そしてなにより、サービスの受給者が、スピードアップを望んでいない。」という指摘は、介護関係者は心に刻んでおく必要があるでしょう。

 残念ながら、介護現場では業務計画至上主義がはびこっており、時間内に業務を終えようと、スピードアップが求められています。
 その結果、食事介助、入浴介助などを、雑であっても速くできる職員が良い職員という常識(外部からみれば非常識)がまかり通っているのです。
 
 もちろん、スピードアップのために介護の本質である「声がけ」「感情交流」などは省略されてしまうのです。

 介護施設の職員は今一度、自分たちの介護サービスの「使用価値」について真摯しんしに問う必要があります。「使用価値」について真摯に考えるということは、当事者(お年寄り)の立場に立って見直すということです。「使用価値」の判断はサービスの利用者である当事者が行うものなのですから

4.ケア階級の叛逆

 『人新世の「資本論」』のp316、317にはケア階級の叛逆という衝撃的な小見出しがついています。これも長くなりますが紹介します。

 「脱成長コミュニズムがケア労働に注目するのは、環境に優しいからだけではない。今、世界のあちこちで資本主義の論理に対抗して立ち上がっているのが、ケア労働の従事者だからだ。これがグレーバーのいう「ケア階級の叛逆」(revolt of the caring classes)である。現在、ケア労働に代表されるエッセンシャル・ワーカーは、役に立つ、やりがいのある労働をしているという理由で、低賃金・長時間労働を強いられている。まさに、やりがいの搾取だ。そのうえ、余計な管理や規則の手順ばかりを増やすだけで、実際には役立たずの管理者たちに虐げられている。」

斎藤幸平2020『人新世の「資本論」』集英社新書 p316,317


デヴィッド・グレーバー2020「ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論」岩波書店

 ここに紹介されているデヴィッド・グレーバー(David Rolfe Graeber)[8]は『ブルシット・ジョブ -クソどうでもいい仕事の理論 』という著作で知られていますが、要するにクソどうでもいい仕事をしている管理者が不可欠で有益なエッセンシャル・ワーカーをいじめているということでしょう。これは、少々言い過ぎでしょうか。

 会社の儲け至上主義や経営者の自己満足のために苦労している介護労働者は多いと思います。
 介護はやりがいのある労働だから低賃金でも良しとする「やりがいの搾取」は広く見られます。
 介護がやりがいのある労働だということだけを強調して低賃金については全く言及しない介護の就職サイトや、介護のイメージアップ施策は「やりがいの搾取」を後押しする有害なもです。

 日本の介護労働者にも立ち上がってほしいのですが、介護福祉で働く労働者全体の労働組合の組織率は 3.5%にすぎません。(全国労働組合総連合「介護労働実態調査報告書」2019年4月)

 一応、介護業界で働く方を支援する一人でも入れる、NCCU(日本介護クラフトユニオン) という労働組合がありますが、私は、企業別ではなく、職能別の労働組合はとても貴重な存在だと思いますが、まだまだ組織率は低いようです。

⇒ https://www.nccu.gr.jp/index.php


[1] SDGsとは、Sustainable Development Goalsの頭文字をとった言葉で、日本語では「持続可能な開発目標」という。2030年までにより良い世界を目指す国際目標で17のゴールと169のターゲットで構成されている。

[2] カール・マルクス(Karl Marx 1818~1883年)は、プロイセン王国出身の哲学者、経済学者、革命家。

[3] MEGA(Marx-Engels Gesamtausgabe:)は国際マルクス=エンゲルス財団が編纂を続けている新マルクス=エンゲルス全集で、マルクス、エンゲルスによる歴史、哲学、経済学、政治に関する著作、論文、草稿、パンフレット、遺稿、書簡、ノート、抜書き等が収められている。

[4] エッセンシャル・ワーク(Essential work)とは最低限の社会インフラ維持に必要不可欠な労働。健康・医療・介護、保育、食品、日用品、衛生用品の取扱い事業、交通機関、電気、通信、公安などの仕事。

[5]再生産(reproduction)社会の構成主体である人間は消費を行うことによって生存しているため、生産を継続的に反復するという再生産がなければ社会は存続できない。再生産は経済学でしばしば用いられる用語であるが、1970年代以降、社会的再生産、文化的再生産の概念に拡張され、教育、家族の再生産が社会学、教育理論、歴史人類学などで用いられている。

[6] 使用価値(value in use, use-value)とは、物の持つさまざまなニーズを満たすことができる有用性を指す。 マルクス経済学の価値論の概念の一つである。

[7] イノベーション(innovation)とは、物事の「新機軸」「新結合」「新しい切り口」「新しい捉え方」「新しい活用法」(を創造する行為)のこと。

[8] デイビッド・グレーバー(David Rolfe Graeber 1961年~2020年)アメリカの人類学者

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