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【007】「記憶から落ちた崖」2022年8月の日記➀

・稀に夢の中で落下を経験する。「やばい」って気付きに先回りして落下の速度が背中に冷たく貼りつく。前後の情景は語るには曖昧過ぎるけれど、どうやら僕はそこで何かから足を踏み外したのだ。

・踏み留まるための足場を探すが、足裏は気持ち悪く空を切る。この時の筋肉の動きの反動で身体がびくり震える。痙攣。その震えに毎度目が覚める。瞼が開く。光が差し込む。「なんだ、夢か」と安心してベッドで寝返りをうつ。

・睡眠中にびくりと身体が震えるこの現象は「ジャーキング」というらしい。はっきりとした原因は解明されていないけれど、寝入りが浅いときとか、極度に疲れているときとか、強いストレスを感じているときとかに起きるようだ。

・やっぱ疲れてるのかね。体力付けないと。

・いや、そういう問題じゃないか。

閑話休題。これはただの「どん兵衛 釜たま風うどん」。悪夢の素材ではない。

・しかし夢の中での落下は妙に生々しい。人生において落下を経験した記憶など数えるほどしかないはずだが、脳がエミュレーションした「落下の感覚」はまさに「落下の感覚」としかいえない表現力がある。人生で経験した落下なんて、おそらく遊園地のアトラクションくらいのはずなのにね。ディズニーのタワーオブテラーとかさ。

・……いや、一度だけあるな。あれは確か小学生低学年くらいの頃の出来事だ。

・実家の近所に公園があって友達とよく遊びに行った。その公園は外周がフェンスに囲まれており、坂道の途中に位置していたこともあって、出入口によっては、入るときに階段を登る必要があった。ちょうど上の写真のようなイメージだ。(画像はGoogle Mapのストリートビューから拝借した)

・手前に停まってるミニバンから推察するに、フェンスまでの高さは約3メートルほどだろうか。昔、小学校低学年の頃の僕は、そこから落ちたことがある。崖を登ってフェンスの外から公園内へ侵入を試みたのだ。その過程で友人に笑わされて(どうやって笑わされたのかは覚えていない)、握力が緩んだ。拠り所を無くした僕の身体は真っ逆さまに落ちていった。

・別に幼い時分にはしゃいでこういう経験をするのは珍しくないのだろうけど、この時の出来事はちょっと運が悪くて、それというのも僕の落ち方が悪かった。崖から手を放した僕の身体は頭からコンクリートに落下したのだ。

・後頭部をごつんと打った。その記憶はある。しかし痛みを覚えた記憶はない。脳内に残っている次の場面では、もう僕は友達と鬼ごっこをしている。決定的な瞬間だけが抜け落ちている。

・あの時実は死んでいたのではないか、とたまに思う。あの時から20年近くが経っているが、ずっと走馬灯を見ているのではないか。”ない”走馬灯を回し続けているのではないか。このブログを書いている自分もその延長線上にいるのではないか。

・馬鹿げた話だけど、この考え方が根元の部分に染みついている。だから例えば次に死ぬような出来事が起こったとしても、一秒後には何事もなかったように人生の続きが始まるのではないか。そのせいでなんとなく死への恐怖感が薄い。「大丈夫でしょ」と心のどこかで楽観視している。

・しかし、このままではまずい気もする。そういう怖れがある。だからまずは記憶から落ちた崖についてケリをつけなくてはいけないと考えた。

・ちょうどお盆で帰省していたので、例の公園に行ってきた。夕方。じめじめとした空気。そこには誰もいなかった。なので少し恥ずかしいけれど、かつての再現をするためにフェンスを乗り越えて子供のころの自分が落ちた崖に足を掛けた。

・意外と高くて内臓がひゅっとなる。「こりゃ3メートル以上あるな」なんてぼんやりと思いながら、なぜかスマホを取り出して崖下の景色を撮ろうとする。

・そこで、何かから足を踏み外した。何か? いや、ここは公園で、懐かしい崖の上で、左手にはスマホが――。

・踏み留まるための足場を探すが、足裏は気持ち悪く空を切る。この時の筋肉の動きの反動で身体がびくり震える。痙攣。その震えに目が覚める。瞼が開く。光が差し込む。「なんだ、夢か」と安心してベッドで寝返りをうつ。ジャーキング。

・結局、あの公園には行かなかった。行かなかったはずだけど、スマホのアルバムを見ると、そこにはブレブレの写真が一枚だけあって、なんとなくコンクリートのようなものが映っていた。

・やっぱ疲れてるのかね。体力付けないと。

・いや、そういう問題じゃないか。

(おわり)

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